昔は音楽聴くのにメロディとか音とかに興味がいってて、あんまり歌詞を聴いていなかった。



今はけっこう歌詞にも耳が向くようになってきた。井上陽水さんの「リバーサイドホテル」のちょっと怖そうな歌詞とか。



で、最近、この曲の歌詞はどういうことなんだろ?と思った曲が、原田真二さんの「風をさがした午後」。1986年にリリースされたアルバム「DOING WANDER」に収録されてる曲じゃ。



なんか、なんも考えずに聴くと、歌詞そのまんまなのだが、聞く人が勝手にいろいろその歌詞の意味を解釈できる曲でもある。



原田真二さんは、3ヶ月連続シングルをリリースするという当時では珍しい華々しいデビューでした。作曲は原田さんご本人で、作詞は松本隆先生でした。デビューから5枚目のシングル「サウザンドナイツ」までは松本隆先生の作詞が続き、6枚目のシングル「OUR SONG」から作詞作曲とも原田さんになるわけです。



原田さんは、そのルックスや曲のクオリティなどからデビュー時から人気は爆発し、メディアなどでの扱いは、一言でいうとアイドル的な扱いでありました。原田さんご本人の言葉にもありますが、当時はその扱いに違和感を感じていたようで、結果的に次第にアングラ的な活動になっていきます。



1978年にリリースしたファーストアルバムはオリコン初登場1位という記録を作るも、数年後にはレコード売り上げが数千枚とかまで落ち込みます。(芸能界っていうのは、ホントスゴい業界じゃ・・・・)



ただ、原田さん自身はこのころっていうのはアイドル扱いから解放されて、ある意味デビューしたころよりも居心地はよかったのかなあ、とは思います。



わしがライブを観たのが、1982年から1984年ごろだったと思うけど、大盛り上がりじゃったなあ!デビュー直後のミーハー的なファンがけっこう減ってきたころですね。



1985年にはアルバム「MAGICAL HEALING」をリリース。このアルバムも死ぬほど聴きましたね。グラムロックで、ダンサブルで、それまでとかなりタイプの違う曲もありましたね。


そして、1986年にアルバム「DOING WANDER」がリリースされます。印象としては、前作の延長、みたいな感じじゃろうか?そのアルバムの中ほどに「風をさがした午後」が収録されてます。リリース当時は聴いてても歌詞の意味はあまりわからなく、メロディとか、リズムとか、音とかだけ聴いてたんだと思う。



最近、この曲を聴いていてふと思ったのが、この歌詞って、原田さんがデビューからこのアルバムをリリースしたころまでのご自身の体験を歌にしたのかなあ、と。



1977年にデビューしてから1985年ころまでって、アイドル的な扱いからはじまって、その後事務所を独立し、歌詞もデビュー当時の松本隆先生から自作の歌詞になったり。テレビ出演が減り、スタジオの時間やライブが増えたんだと思います。



そんな原田さんが歩いてきた道を「風をさがした午後」の歌詞にしたんじゃないんかなあ?どの歌詞がどこの時期に当たるのかはよくわからんけど。



「ストリートの風はGuitarを握らせた」という歌詞は、デビュー前の音楽に興味を持ちはじめたころのこと?



「教室を出たかった~一人だけでアクセルならしてみたかった」っていうのは、環境を変えたかった、という意味なら、松本隆先生に歌詞を書いてもらった時期から自身の言葉で表現したい、という意味かなあ、とも思ったり。



でも、この曲の歌詞をずっ~と読んでみると、あんまりハッピーな感じはしないのですね。なんか、苦しい時期のことを歌っているような、そんな感じをうけます。



で、タイトルの「風をさがした午後」って何なんだろう、と。

デビュー当時、歌詞を書いていた松本隆先生ははっぴーえんどのアルバムタイトルにも「風街」という言葉があるように、「風」という言葉のイメージがあります。もしかしたら、原田さんは、またデビュー当時のように松本隆さんと歌を作ってみたいという、松本隆先生へのメッセージもこの歌の中にはあるんかなあ?とも思ったりしたわけです。



まあ、真実はわからない、にしても、この「風をさがした」っていう言葉は一体何を意味してるんだろうなあ?、ってちょっと気になってしまいますね。



すでに原田真二さんご本人から、この曲についての説明は公表されてるかもしれませんが、そんなことを感じた曲なのでした。