行きたくて行ったわけではないのですが。
久しぶりの我が家でした。でも、
中に入ると、やっぱり他人のうちになっていました。人間って、どうしてあんなに勝手なことが出来るんでしょう???
裏庭に行くと、わたしが手配した防草シートのおかげで、ジャングルにはなっていませんでした。でも、花や野菜で生き生きとしていた庭は、跡形もなく・・・。数年前、親がオットの実家から持ち帰り、種をまいて育てていた植物も・・・。さらに昔、親が、転勤先から持ち帰った球根類も・・・。
わたしは、子どもの頃から、「一番下だから」と、草取りや食事の手伝い、洗濯物の片付け、鉢の水かけ、週末の靴洗い(自分のものだけでなく)・・・など、「手伝い」と言われるものはほとんどしてきました。別に珍しいわけではありませんが。
わたしの両親は、「男だから」「長女だから」と、兄・姉には手伝いはさせていませんでした。まぁ、させたからと言って、兄姉たちが十分働けたとも思いませんが。同じ手伝いをさせられても、姉は最初からしない、兄は途中でやめる。・・・よく働くわたしは、最後まで手伝いましたとさ。
今でもよく覚えていますが、わたしが幼稚園の頃、ふっるい自宅の前に小さな畑がありました。父がサツマイモを植えていました。その草取りをしたのをよく覚えています。庭の西側には、小さな土の山が2つあって、びわの木がありました。母方の祖母が、竹の先を割ったもので、高い枝にあるびわをとってくれたのを、今でもはっきりと覚えています。
当たり前ですが、当時は、両親も若く、祖父母も健在でした。
末っ子だから「一人だけ手伝いをさせられて損した」・・・という恨み節ではなく、亡くなった両親・祖父母への感謝とあの頃に戻れたら・・・という寂寥の感でいっぱいです。
母がよく言ってました。あの頃は、わかってなかったけど。
「「いつまでもあると思うな、親と金」
・・・違ったかな。
「親の心子知らず」
・・・なんか、しっくりこないぞ。
今、親が元気だった頃のような年齢になり、「あのとき、両親は大変だったはずだよな。」「ひどいこと言っちゃったな。」「自分は、両親のように子どものためにがんばっているだろうか、いや、がんばれてない。」と、深く深く反省しています。
わたしは、母が30代半ばで生まれました。子どもの頃は、友だちのお母さんは若くて、とっても羨ましかったし、自分の母が友だちの母親よりも年をとっていることを、恥ずかしいと思っていました。
月日は流れ、わたしは、母よりもかなり年をとって、出産しました。子どもの同級生には、20代の人も多いです。自分も、周りのお母さんたちと世代が違うことが恥ずかしいです。
母に、そんなことを思わせていた自分が恥ずかしいです。
「老いては子に従え」・・・これも違う。
「親孝行、したい時には親は亡し」・・・
・・・これですね。
両親が亡くなって数年経ちましたが、
「あのとき、こうすればよかった」ということのオンパレードです。
わが子がどういう風に成長し、大人になって何を思うかわかりませんが、自分が両親から受けたように、親の愛情を注いでいこうと思います。