象徴たる黒き者たち | 路上カメラマン身の周り切撮り@サンパウロ

路上カメラマン身の周り切撮り@サンパウロ

危ないと言われる場所に住み、
よく行けるねと言われる場所に行く。
ブラジルに来て早16年
思い返せば何も思い出せない今日この頃・・・。

最近は仕事の量がぐっと減り、空いてる時間は相変わらずカメラ片手にぷらぷらと街中を散歩している。
サンパウロに住む日本人や日系ブラジル人は私が住むサンパウロ市中心部、Centro(セントロ/ダウンタウン)を汚いや危ないと言い、用事がない限りあまり近づこうとしないが私にはサンパウロの中心部というだけあってそこを知らずにしてサンパウロを知ることはできないと思っている。
生々しい現実を顔面に殴り、塗り付けるセントロに触れると自然と色んな人と出会い会話をし、人としての生き様やあるべき姿などを考えざるを得なくなる。

伸び放題の髪は束になり顔を覆い隠し、その隙間から見える肌は何層にも汚れが重なり厚い。
その奥から覗く眼が映るもの全てを吸い込むかのようにじっと光っている。
拾ったであろうジーンズを二重も三重にも履き、夏であろうと決して脱がない厚手の上着。
ボランティアが配るリサイクルで作られた灰色の毛布を常にマントのように肩から羽織る。
暑かろうが、寒かろうが、雨が降ろうが常に自分の持つすべての服をすべて身に着けたまま生活している。

そんな彼ら、いわゆる浮浪者をブラジルへ渡り初めて見た幼い私は彼らの存在が理解できなかった。
全身真っ黒でふらふらをさまよい、道の端でじっとうずくまる彼ら。
ゴミが動いたかと思えば人だったなんてことは日常茶飯事だ。

一緒に歩いていた母へ訪ねた、彼らはなぜこうなったのか…。

母は答えた、

「彼らが何で道に住んどるかは彼らに聞かんと分からんよ。
 やけどね、理解してほしいのは人それぞれ事情があってこうなとって、ナル(私)と同じ人間やって事。
 ナルが今持っとる家とか食べ物とか服とかは持っとって当たり前やない事。
 その一つ一つには価値があって、感謝せんといかんとよ。
 今あるものの価値を見出せんと幸せが何かも分からんけんね。
 彼らをよーく見てみ。外見は違うけど私たちと同じ人間やけんね。
 彼らは大切なことを誰よりもナルに教えてくれるけんね。
 それを忘れたらいかんよ。」

何を言ってるのかさっぱり理解できなかった。
ただ理解できたのは彼らも人間であるという事、今あるものはあって当たり前ではないという事。そして彼らは色んな事を教えてくれるという事。

その言葉は常に私の頭で反響し自分というものを見つめさせる。
成長し歳を重ねるたびに、より一層自分に問いかける。


欲があるのは悪い事だとは思わない。
がしかし今あるものに感謝できないのは問題だと思う。
金持ちだって貧乏だってなんだっていいじゃないか。
社会的階級や役職、肩書が何であろうと中身が人としてどうか、が問題なのではないだろうか。
あなたが本当に困った時、金をなくし、役をなくし、名前をなくした時、誰がそばに残り誰が手を指しのばすのだろうか。
何も持ってない負け組の奴が騒いでるだけと言う人もいる。
そうかもしれない。
そしてあなたにとって非現実的な世界のどこかで起こっている状況と比べる必要はない。
でも思い返してほしい。あなたが今いる状況に至るまでの事を。
考えて欲しい。今あなたにあるものの価値を。


ただ少し、ほんの少しでいいから自我を捨て自分を見つめて欲しい。
物に溢れ、画面越しに人とつながり、感覚が麻痺している今の時代だからこそ…。