「実の教育とは」
道場では自分の思いついた事を塾生に話す。
それは空手の技に限るものではない。
行儀の事であったり自分自身が幼少の頃受けた感銘を出来れば塾生にも伝えたい。
むしろ修身に近いものだ。
そこで現在力を入れているのは特に未成年者なのです。
成年になる前の少年少女を見ていて思う事は、じつは子供の教育は胎教から始まって
いるのではないだろうかと云うことです。
今、家には新生児がいる。
息子の長男だが、勿論生まれたてのほやほやである。
名前は自分達で付けたかったのだろう、相談もなかった。
勿論親としてそこまで鑑賞しようとは思わない。
従って相談されなくても悪い気はしていない。
しかし、もしかしたら孫の名付け親になりたい親もいるだろう。
それはそこの家の習慣であったり教えから来るものではないだろうか。
それも教育なのかもしれないが、今は親も子もお互い個人主義になっている。
悪く云えば我が侭勝手が罷り通る時代なのだ。
これは日本だけではない、世界的なものらしい。
それだけ人が人に頼らず生きて行ける結構な機構が出来上がって来た証です。
喜ばしい反面また勝手な人間も多くなることでしょう。
だからこそ今は子に教育する以前に未熟な親の教育こそ大切なのかも知れません。
現代の多くの親は時代的に戦後の中途半端な時期にあったと云えないでしょうか。
戦前の封建的他でありまた家族的な教育の方が日本人には合っているように思います。
今こそ修身の必要な時ではないでしょうか。
今道場に通う子達も親から下拵えを施されている子は非常に少ないようです。
この件についてのご意見を頂けましたら幸せです。
成嶋弘毅