男の咆哮 | 日本空手道 葉隠塾東京本部 瞬機必殺の理

男の咆哮

「男の咆哮」

ぼくの憧れ続けてきたもの、それは偽りあざむく事のない友との真実で男の正しい道を歩むこと
でした。

しかし、それは今の世で人に期待してはならない夢でしょうか。

幼少のおり家を守る者は唯一、家族中で男である自分一人だと思い込みました。
その気持ちは長ずるに従い強くなるばかりでした。

しかし、それには厳しい条件が付いて来るのです。
肉体的には勿論強く、目的を貫く強靭な精神と頭脳が問われからです。

努力だけでは済まない強い運も混じって来るのです。
しかし、一家を守ことは言って見れば男の仕事。
そしてそれは男であるからこそ可能な仕事と信じ続けて来ました。

時代が変わったと行ってしまえばそれまでですが、昔は偉い人がいました。
今はいません。

誰もが平等なのです。
しかし、それが正しいとはぼくにはどうしても思えません。

偉い人がいた方がむしろ自然に思えてならないのです。
ノーブレスオブリージュ(=位高くして責重し)、選ばれた人に課せられた義務とでも云いま
しょうかそれを感じ守る心もまた大切な意欲を呼ぶ動機となるのです。

男に意識を与えるキーワードとも云えるのではないでしょうか。
やはり人は期待されるからこそ応えるのです。

それと金銭的な見返りを期待しない忠誠心も美しくはありますが、果たしてそれは正直な
心であるかどうか悩ましい限りです。
それがなくても尽くせるのかです。

例えば人間的に立派な人であってもその方に経済力がなくては敬われるかと言えば複雑です。
疑わしさが残ります。

この人物に協力すれば必ず何らかの見返りを期待出来ると云う不文律があらばこそ忠誠を
誓ったり追従するの人の方が言うまでもなく多いからです。

むかし、ぼくは武術の世界に利害関係は存在しないと本当に信じていました。
それと同様にまた任侠の世界には現代が奪ってしまった武を生業とした侍の住処がそこに見えた
のではないでしょうか。

しかしそれも年月と共に滅び去ってしまったのです。
長上を敬する心も義理さえも武士道と共に滅び去ってしまったのです。
紋付を付け、袴を佩き、腰に刀を携えだけでは侍と言えない事が何処かで欠落しているの
です。

義理人情は最早風解され果てた念仏に過ぎないのです。
最近ではその言葉を口にするたび虚しささえ覚えます。

純粋と云う点で言えば今思うに、賛否はあるものの三島由紀夫氏と楯の会の氏の弟子達は、侍たち
が明治まで守ろうとした侍の美徳に近いものにこよなく近づいたのではないでしょうか。


塾長成嶋弘毅

19dl>
成嶋弘毅 葉隠流空手 [DVD]/成嶋弘毅



¥5,880

Amazon.co.jp




「武士道」子育て―強くて品格ある男の子を育てる方法/成嶋 弘毅

¥1,365
Amazon.co.jp

日本人の心を奮い立たせるサムライの言葉/成嶋 弘毅



にほんブログ村 格闘技ブログ 空手へ
にほんブログ村
人気ブログランキングへ
人気ブログランキングへ
人気ブログランキングへ