昭和初期の残像 | 日本空手道 葉隠塾東京本部 瞬機必殺の理

昭和初期の残像

憧れは夢に変わり、それが具体的になれば現実へと移行して行くのです。
キャプテン翼に憧れワールドカップの選手になったブラジリアンがいました。


それがキャプテン翼でなくガッチャマンであったらどうなるのでしょう。
成りようのないヒーローも沢山います。
成りようのあるヒーローが好ましくない対象であったら
これは問題ですが、それもありうるのです。


貴方も何かに成りたかったのではありませんか。
果たして現在それに近い生き方をされておられる方もいる筈です。


私事で申し訳ないのですが、僕が成りたかったのは男でした。
男と云いましても自分自身が男なので

僕の云う男は”漢”であり”侠”なのです。


男の中の男、男伊達の男なのです。
一言に云ってサムライであり、強力で高潔なのです。
しかし、義侠の徒であり無法ではなりません。
それは国を司る政治家であり、国を富ませる実業家であり、
又腕力胆力に鎧われた武術家でもあるのです。
いわゆる国をリードする男でありたいと、
どうした訳か子供の時からそう云う男に憧れ続けたのです。


日本を支えた実業家にも何人かお逢いしました。
政治家もいました。
正に憧れの対象だったのです。
どなたもそれは男伊達でした。
タレントに憧れる以上に熱中しました。

威風堂々と人の上に立つリーダーの存在はそれは例えようもないほど
カッコ良いものでした。
当時夫々が持たれていたお洒落心は共通するものであったように
僕には感じました。
対象が大同小異だったのではないでしょうか。


将来ブログに登場頂く予定の柔道家、
木村政彦氏もお年を召しながら尚更に落ち着き、凄みを感じさせました。

勿論、大山倍達総裁の若い頃は精悍と云うよりも恐ろしさを
感じさせた方でした。

先ほど紹介致しました『義侠の徒であり無法ではなりません』
と云いながら無法と世間で呼ばれた方々とも数人お目にかかり、
ある時期親しくさせて頂いたこともあります。


しかし、それはそれでやはり一流は一流の持つ貫禄を備えておられました。
正に憧れの対象となるべき方に違いありません。
一芸に秀でた者のオーラと云いましょうか間違いなくそれがあったのです。
亡くなられた方はそれを予感させられる所がありました。


僕には上に挙げた方々は生きているサムライに見えたのです。


それで僕が最終的に目指したのが実業家であり、
個人の趣味では武術家だったのです。

何処までも限りなく欲張りであった為、
二兎を追いそこそこ二兎を捕まえたと思っておりますのは自惚れでしょうか。


別段の努力をした訳でもなく、両方を根っから憧れ続けて来ただけです。


しかし、憧れほど力強い動機は他にはないかも知れません。
それはマグマのような熱と勢いに守られているのです。







葉隠塾  成嶋弘毅


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