才能とは何だろう、と考えることがある。考えれば考えるほど、結局のところ、本質的な才能とは「それをやらずにはいられない」という衝動にこそ宿るのではないか、という結論に至る。
シンガーソングライターであり作家でもあるAさんと僕は、彼女がデビューのために札幌から上京してきた頃からの音楽仲間だ。年齢はふた回り違うのだが、不思議とウマが合う。そんな彼女は筋金入りのファイターズファンで、機会があればいつか一緒にエスコンで野球観戦をしたいと話していたが、昨夜それがかなった。多忙な中、時間を作ってくれて、オープン戦のチケットを取ってくれた。ライトスタンドの二階席、最高の席だ。
Aさんから、「東京での仕事が長引いた上に飛行機も遅れ、球場に着くのは試合の中盤くらいになりそう」と連絡が入っていた。「遅れる側」の焦る気持ちは僕にもよくわかる。飛行機が遅れる方が悪いんだし、それに何より、いつも一人で観ているところにもうすぐ仲の良い友人が来る。それだけで嬉しいじゃないか。一人で観てるんだけど、これって一人じゃない。
清宮幸太郎。
高校卒業時に七球団からドラフト指名を受けるという快挙を成し遂げたが、プロ入り後は長く苦しんだ。僕が札幌に移住し、エスコンフィールドに通い始めた昨年の今頃、彼は凡退を繰り返していた。僕は何度か彼の打席のタイミングで席を外したことすらあった。
(そしてやはり彼は凡退を繰り返した)
しかし、昨年のオールスター直前あたりから、彼は突然生まれ変わったように打ち始めた。打球の質が変わり、打った瞬間にそれと分かる鋭い弾道のホームランを連発し、目の覚めるようなライナーをセンター前に突き刺した。僕も長く野球を見ているが、ここまで突然覚醒した打者を目の前で見るのは初めてだったと言っていい。通常、成長曲線とはもう少しなだらかに描くものだ。
昨年後半の清宮幸太郎は、無敵だった。打率も高く、ホームランを量産し、チャンスにも強い。そして気づけば、守備まで安定していた。ファイターズの快進撃を支えた立役者の一人であることは、疑いようがない。彼はまさに本物だ。今年はその才能を十全に表現するシーズンになってほしい。
昨日の試合。 二番スタメン清宮の第一打席は、まさかのバントだった。自ら考えた作戦だったのだろうか。それ自体は否定しないし、相手のミスを誘い、作戦としては結果オーライだったから「よし」としなくてはいけない。だけど、それでも。
三回、二死無走者で迎えた清宮の第二打席。 「清宮、我々は君のバントを見に来たのではない。君の大きなスイングを見に来たのだ」と僕は独り言を言う。まだ春先だ。じっくり仕上げればいい。しかしながら、大きな振りを見せてほしい。実りのある失敗を重ねながら成長してほしい。
そんなことを考えていた次の瞬間。 僕の座っていたライトスタンド二階席の斜め前に、清宮の豪快な打球が突き刺さった。超特大ホームラン。
清宮よ、僕はこれが観たくて、ライトスタンドに席を取ってるんだ。君というやつは……。まさかここまで飛ばすとは。
観客は総立ち、誰もが驚嘆していた。 僕はAさんにLINEを送った。
「清宮のホームランが、目の前に飛んできたよ!」
Aさんはまだ球場に着いていなかったが、それでも、僕は一人ではなかった。彼女が「ここ」にいなくとも、僕は彼女のことを考えていたからだ。「そばにいる」というのは、「心の中にいる」ということなのかもしれない。
六回裏途中にAさんはやって来た。彼女はビール、僕はウーロン茶で乾杯し、近況を報告しあいながら、試合にも没頭する。そこから三イニングという短い時間だったが、生粋の道産子で、ファイターズ原理主義者の彼女とエスコン観戦できたのは、とても楽しい時間だった。
ベースボールの試合をじっと見つめているだけで、躍動するプロの選手たちの姿を見るだけで、そこには余計な言葉などいらないのだ。彼らの動き一つ一つがアート。丸ごと楽しめばいい。
試合後、エスコン内の焼肉店(ここが美味いのだ)で食事。さまざまに情報交換。 彼女は、ずっと音楽とまみれている。仕事であろうとなかろうと、いつも何かを作り続けている。そして「一緒にやろう」と誘えば、彼女は必ずこう答える。
「やりたいです! 楽しそうですね!」
どんな仕事でも、どんな企画でも、彼女は決して手を抜かない。メジャープロジェクトであれ、無名の案件であれ、発表される予定すらない楽曲であれ、彼女は常に最高のクオリティで仕上げてくる。
僕も「がんばらなきゃな」と思う。彼女と過ごす時間は、いつも刺激的だ。
「まさに『人間万事塞翁が馬』だよなあ」と僕が言うと、「なんですか、それ?」と彼女は言った。
※後半、おしゃべりに夢中でスコアがなおざりになっている(そういうのも楽しいのだ)
※山﨑福也の一安打一打点も特筆!
※記念にAさんのサインももらった