「お前、スケジュール空いてるか?」

 

旧知のディレクターJから突然電話があったのは、2011年5月12日の夜だった。スケジュール帳を見るまでもなく、僕には予定らしき予定などなかった。

 

AKB48のコンペに採用されることをアテにして、2009年いっぱいでコールセンターの仕事を辞め、音楽一本に絞った生活を送ってはいたが、押しも押されもせぬ大スターになったAKB48に、僕の曲が採用されることはなかった。

 

 

2009年の後半に「ひこうき雲」がシングルのカップリングとしてリリースされてから一曲の採用もなかった。キープすらされなかった。

 

僕の作曲家人生は大スランプに陥っていたのだ。音楽以外のアルバイトはもうしない、と決めていた僕は、ウクレレ教室を開き数人の生徒をとってなんとか糊口を凌いでいた。

 

AKB初期に提供した9曲のささやかな印税がなければ、僕の生活は完全にアウトだっただろう。僕はとっくに40を過ぎ、娘は小学生になっていたのに、だ。

 

「全然、空いてるよ!」

 

「そうか、それは良かった」とJは言った。

「来週、一回ギター持ってスタジオに入ってくれないか?」

 

「ああ、いいけど、また誰かのサポートかい?」

 

Jはディレクターとして活動する前は、あるバンドのフロントマンで、僕がやっていたバンドFOUR TRIPSと同期で活動していた。その後裏方に転向し、新人育成や、ベテランの現場を仕切ることにその手腕を発揮していた。

 

彼はギタリストとして僕を重用してくれていて、彼の担当するいくつかの現場で僕はギターを弾いた。ありがたいことに、それらは総じて僕の自尊心を満たしてくれる、歯ごたえのある仕事だった。

 

「いや、まだちょっと確定ではないんだが」と彼は言った。

「一度スタジオに入って欲しいんだよ」

 

「いいよ、こっちは全然あいてるし」僕は言った。

「で、何やればいいの? 誰なんだい?」

 

「いや、それがまだ確定ではないんだが」

彼はさっきと同じことをまた言った。

 

よっぽど慎重に進めたい仕事なのだろうと僕は察した。

 

「お前、ガットギター持ってたか?」彼は言った。

「いや、使わないからこないだ売ったよ」

「よかったらガットを持って来週スタジオに入って欲しいんだが」

「わかった、なんとかするよ」

 

ガットギターを持ってそうな友人の顔を何人か浮かべながら、僕は彼の次の言葉を待った。

 

「オーディションのような形になってしまって悪いんだが、

一度合わせてから決めさせてもらっていいか?」

「もちろん、全然構わないよ」

「じゃ、後で譜面と音源メールしとくわ」

「うん、わかった。俺で大丈夫かな?」

「大丈夫だと思う」

 

そこでJは、一度大きく息を吸い込んだ。

 

スーーッ。

 

そして小さな声で、まるで内緒話を仲間に打ち明ける悪ガキのようにこう言った。

「実はな、手嶌葵なんだわ」

 

 

僕は言葉を失った。手嶌葵さんのことは彼女がデビューする前から知っていた。

 

彼女がまだ10代中盤に吹き込まれたデモ音源は、彼女のデビュー前から業界では噂になっていた。すごい歌手が九州にいるらしい、と。そのデモを僕もどこからか入手し、その圧倒的な吸引力と歌の解釈の深さに「これが10代?」と感嘆し愛聴していた。

 

そのデモに入っていた彼女が歌うベッド・ミドラーの「THE ROSE」に惚れ込んだジブリの宮崎吾朗監督が、彼の初監督作「ゲド戦記」の主題歌「テルーの唄」を歌うシンガーに抜擢し大ヒット。いきなり華やかなデビューを飾った。「ゲド戦記」では葵さんは声優としても重要な役を担っている。

 

手嶌葵のサポート?? 

 

まじかよ。

 

僕は純粋に、ただ純粋に、彼女のファンだった。彼女の歌うスタンダードには本当に特別なサムシングがあったからだ。彼女の声を聴いてファンにならずにいられる音楽好きが存在するのか。僕は大いに疑問である。

 

「お、おい、そんな大役、俺で大丈夫なのかよ?」僕は言った。

 

「いや、それはわからん」とJは言った。

「J、お前、さっきと言ってること違うじゃねえかよ...」

 

最後に彼はきっぱりとこう言った。

「とりあえず、譜面と音源は送っておく。基本的に成瀬のギターと葵ちゃんの歌、という編成だ。そうだな、インストアのようなものと思っておいてくれ」

 

「わかった」そう答える以外に僕に何が言えただろう?

 

電話を切ってすぐに、友人のギタリストに連絡し、ガットギターを借りる手はずを整えた。指定されたリハの日まで4日しかない。

 

送られてきた音源はストリングスまで入ったフルのオケだった。これを俺の覚束ないガットギターでアレンジしないといけないのかよ。

 

しかし。手嶌葵さんのバックでギターを弾けるかもしれない。こんなチャンスがあるだろうか。数日間、僕はガットギターを徹底的に練習し、フルのオケの勘所を押さえたアレンジを施すべく必死だった。せっかく話を振ってくれたJの期待にも、やっぱり応えたいじゃないか。

 

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いつも読んでいただいてありがとうございます!

 

成瀬英樹

 

ライブのお知らせ!

2019年3月9日(土)

下北沢 風知空知

 『土曜の夜のサンキュー・ミーティング』 

 出演:成瀬英樹 

ゲスト: 伊藤心太郎/上奥まいこ 

 

開演17時30分 予約 2,500円 ●メール予約:風知空知 yoyaku@fu-chi-ku-chi.jp ※ご希望公演名、お名前、枚数、ご連絡先を明記の上お申し込みください!

 

AKB48「恋するフォーチュンクッキー」作曲者にして堀江淳さん、財津和夫さんや

ブレッド&バターらの鍵盤奏者としても活躍されてきた伊藤心太郎先輩をお迎えします!

 

 

真の国民的大ヒット「恋するフォーチュンクッキー」成瀬作「君はメロディー」などをセッションいたします。貴重な夜になりますよー!

 

 

 

 

そしてなんと上奥まいこさんにも歌っていただけることになりました。素敵な夜への最後のピースが埋まった感。成瀬念願の初共演です!まいこちゃんほんとうに素晴らしいシンガーです。聴いてみて!