2006年。TRFの「as it is」とAAA「Shalala キボウの歌」の二曲を世に出す事が出来た。どちらも自分自身で誇れる大切な作品で、今でもライブでよく歌うよ。

 

基本的にオールディーズやマージービートが大好きな僕が、ダンスユニットへの曲提供で作曲家デビューというのもなんだか不思議な話だよね。でも、それって考えようによっては、メロディーさえ良ければ、想いは伝わる、という事だものね。

 

 

「Shalala キボウの歌」の歌詞は作家の石田衣良さん。アレンジは今井了介さん。プロ中のプロの仕事。僕にとって初めてのトップ20ヒットだ。

 

特に今井さんのアレンジには度肝を抜かれたよ!僕のデモバージョンを君にお聴かせ出来ないのが残念だけど、僕のデモのイメージはシェリル・クロウあたりの、ファンキーなカントリーといった趣だったんだ。大好きなこの曲のようにね。

 

 

それが、元のデモのコードが一切残ってないくらいのアレンジ!!で、めちゃくちゃかっこいいんだ。ああ、敵わない。本当のプロのアレンジャーとはこういう

方のことを言うのだ、と思った。そして、素晴らしいアレンジで僕のメロディーを引き立ててもらえたことに心から感謝したよ。

 

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しかしまだ、印税だけではもちろん暮らせない。コールセンターの仕事に就いて、日中は喋りまくったよ(笑)僕は人と話すのは苦にならないし、何と言っても作曲コンペと違って、座って仕事をすれば確実にお金がいただけるんだもの!ありがたいよね。ちっとも辛くなかった。むしろ楽しかったくらいだよ。

 

7月にある友人から連絡があった。「成瀬、なんか最近アキバでアイドルユニットあんの、知ってるか?そこで曲を探してんねん。お前出して見いひんか?」

 

数日後、数曲を彼に送った。そして提出したことも忘れていた。まだ、当時の僕にとってはいくつもあるコンペのうちの一つだった。

 

もちろんその’アキバのアイドルユニットグループ’はAKB48。2006年の7月にはまだ彼女たちはメジャーデビューすらしていない時期だ。

 

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コールセンターの仕事、作曲コンペ、そして弾き語りのライブ。そんな日々が過ぎてゆく。1,2曲採用になったからと言って、生活が豊かになるわけもない。楽曲コンペもその後はキープすらない。それでも出し続けるしかない。拠点が神戸から東京に移っただけ、仕事が肉体労働からコールセンターに変わっただけだったね。

 

でも、僕の肩書きは「作曲家」だ。そこが今までとは違うところだ。

 

9月29日に僕は、代官山のライブハウスに向かった。伊藤銀次さんのライブを観にゆく。神戸のアマチュアだった僕を一番最初に見出してくれた恩人だ。

 

2006年の銀次さんはライブ活動を再開したばかりの頃だ。「クラウディ・ベイ」というユニットでギターを弾いて歌っていらした。10年ぶりにお会いする。とても懐かしい笑顔だった。僕のことも覚えていて下さった「Shalala キボウの歌」のCDをお渡しして、なんとかこの世界に帰って来ました、とお伝えした。とても喜んで下さったよ。僕も本当に心から嬉しかったよ。

 

 

 

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成瀬英樹、ソロアルバムをリリースします。

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