2000年1月、僕たちFOUR TRIPSは、沖縄での音楽活動を開始した。始めるしかなかった。現地でお世話になる浄水器販売会社の社長Nさんに連れられて、沖縄のラジオ局や雑誌社への挨拶回りから、ストリートライブ、生け花の会合の前座まで(笑)。もうなんでもやるって決めたんだ。
この間までメジャーでやってました、ヒット曲もあります、なんてプライドはここでは全く通用しないってわかったからね。当然のことながら、誰も僕たちを知らない。もう乗りかかった船、行き先がどこなのか見てやろうじゃないか、という気持ちだった。
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Nさんは関西から沖縄にやって来て、浄水器販売で成功された方。音楽業界へのコネクションなどほとんどなかったのだろう。飛び込み営業、新規開拓。商品が浄水器からFOUR TRIPSに変わっただけなんだ(笑)
それでもNさんの執念は凄まじいものだった。ラジオ局に行けば、ゲスト枠が決まるまでその場を立ち去らないんだ。名刺交換だけして「じゃあまたよろしく」というスタイルではない。最低でも曲をかけてもらう。あわよくば、どこかの番組にゲストで入れてもらう。そこまでじっくりしぶとく、ただひたすら粘るんだよ。無表情に。
雑誌社に行けば、インタビューを取ろうとする。記事を書いてもらう約束をとりつけるまで粘る。でも、リリースもなければ、沖縄に来たばかりの30過ぎの内地のバンドについて、一体何を書けばいいというのさ(笑)そりゃそうだよね。そんなこと僕らだってわかっている。
それでもNさんは引き下がらない。
僕らもNさんの熱意に乗せられて「なんでもやります」と言っていた。僕なんか沖縄の若手ミュージシャンのバックでライブのサポートでベースまで弾いたよ(笑)なんでベースやねん!弾いたことないよ!(笑)ふー。まったくもう。本当になんでもやったんだ。
沖縄のレコードショップやライブハウスを回って、痛感したのは、沖縄には独自の文化があり、独自のやり方で地元のスターやアーティストがしっかり根付いているということ。民謡も毎月のように新曲がリリースされるとも聞いた。さあ、僕たちはここで何をどうして行けばいいのだろう。
なんのあてもないままに、ひと月ほど過ぎた。かつて感じたことのないストレスが僕たちを襲っていたんだ。
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ライブもNさんが半ば強引にねじ込んで、地元バンドの前座でよく歌っていた。もう、こっちだって失うものないからさ(笑)ある夜D-SETというハコで歌っていた。まばらな客席の後ろの方で、Nさんと数人が談笑していた。演奏中に何をやっているんだろう、うるさいなあ、と思いつつ。
その日のステージを終えると、僕たちはその談笑していた数人に紹介をされた。
その中の一人が、沖縄の引越し会社の社長Aさんだった。30代半ばくらいの貫禄のあるエグゼクティブ。ソファに身を沈めるスーツ姿もキマっている。きっとめちゃくちゃモテるんだろうなぁ...
「決めた!こういう歌を探していたんだ!」とAさんは言った。
何の話かわからずに、曖昧な顔で僕は笑っていた。すぐに理解した。Nさんがあちこち営業をかけてくれて、引越し会社の社長Aさんを連れて来た、という流れなのかと。
Aさんは言う「君たちはKiroroの"長い間"という歌を知っているか?」
はい。もちろん知っています。大ヒット曲ですから。
「あの曲はわが社のCMから火がついて日本中で大ヒットしたんだよ」
え?
「”長い間”の次の曲をずっと探していた。君たちがさっき歌っていた”凍えそうな月”をわが社のCMに使いたいと思うのだが、いいかな?」
「は、はい、もちろん!!!」
いつも読んでいただいてありがとうございます!!!
成瀬英樹