遺体を安置所へ移動させて5日間毎日欠かさず会いに行きました。
冷蔵庫から出されてすぐの日は顔が真っ白でした。冷蔵庫から出されてから少し時間を置いた日は顔色も良くて亡くなった様には本当に思えなかったです。
葬儀場へ、とうとう移動となった日ラストメイクというものをして頂けました。
髪型もきちんと下ろされていて、左眉にあった傷も隠してくれていました。
唇も少しピンクに塗ってもらっていました。
ラストメイクしてくれた方に髪の毛を頂けないかとお願いし、髪の毛を頂きました。
弟の最後に残るものが髪の毛だけなんてと、とても悲しかったです。
1時間ほどかけて葬儀場まで移動して下さいました。
2日間かけて仕事の関係者、仕事仲間、小中高のお友達、小学校の担任の先生、他のクラスの担任なのに来てくださった先生、今でも長く付き合って頂いていたお友達、沢山の方が会いに来てくれました。
私は受付で芳名帳の記入をお願いしていました。
仕事関係の方に早すぎるね。まだまだこれからだったよ彼は…とか、彼の様な人がいなくなってしまったのは今後の仕事に影響がある。それくらいに必要な人だったんだよと仕事関係の方から沢山貴重なお言葉を頂きました。
号泣して泣いて下さる方も居て、弟の見えない部分を初めて見ました。
仕事の事は弟から話しでしか聞いた事がなかったけど実際に来て下さった方とお話しして、仕事を本当に一生懸命やっていたんだなと誇りに思いました。
皆さんにお越し頂く初日に奥さんのお母さんが地方から来て下さいました。
弟の姿を見て泣いて私が代わりになってあげたかったと言ってくれました。
しかし目に余る光景で呆れてしまいました。
母がいちばん弟の側に居たかったと思うのですが、孫達がバーババーバと言ってベッタリでした。
奥さんのお母さんの孫でもあるのに、弟の子を見ようとはしてくれませんでした。
それどころか親子揃って足を組んで話してたり、私の様子を伺っている感じがあったのは気付いていましたが、来て頂いてた方が少なくなってきた頃、ちょっといいですかと呼ばれ行った所、慰謝料の話しなどをしてきました。
いかにもネットで調べましたという内容を話してきました。
一家の大黒柱が亡くなると2,800万位とか・他にもあるみたいですよねと話してきました。
壁を挟んだ向こうに弟がいるのに怒りで震えましたが、いま弁護士さんにやって頂いてますので話しました。
弟のお友達も何人か見ていて後で呆れた様に聞いてきました。
遠方から来て、お会いする事も中々ないのでねと言ってきましたが何で今なの?それこそ電話の方が常識ありますけどと思いました。
とにかくその日は弟の奥さんと、そのお母さんの親子のやり取りを見て残念なのと、なんとも言えない怒りが込み上げてきました。
でもその感情を押さえ、弟の事だけを考えていました。
何でこんな奥さんなの?何でこんな子選んだかね…バカだね…と弟におもわす問いかけてしまいました。