鳴尾八幡神社 -2ページ目

鳴尾八幡神社

貴方に伝えたい 幸せへの道

今日は 宗教家と言われる人たちが持つべき資質って 堅苦しいテーマだけど
これは宗教家 のみならず皆さんにもお勧めします

何でこんな話をしようかと思ったのか
先日FBの方で こんなコメントをもらったので・・・
ホントはもっと早くアップしようと思ってたんですが
風邪をこじらせてしまって・・・ 今になりました ごめんなさいm(__)m

で どんなコメントかって言うと
宗教家は 霊感が無いとダメって そういう話が飛び出してきたので
一寸 そこについて補足と言うか 解説と言うか 入れたいかなと思ったので

何処から話そうか・・・

先ず宗教家って言うのが解らないと話も進まないから そこから

先ず宗教家って 職業の種別に書く肩書みたいなもんなんだけど

神主僧侶牧師 だと思って下さい

で この神主僧侶牧師がするべき仕事

神様仏様の教えを説く事 これだけなんです

祈祷なんかを社寺ではやりますが それは付随業務と云えます

ここが1番では無いって事を先ず認識してくださいね

そもそも宗教 この宗って言う字 お寺の宗派 何々宗って言う風に使われてるけど

宗(しゅう)では無く 「むね」と呼ぶべきなんです

この「むね」と言う言葉を 漢字にしてしまった事が宗教をややこしくしちゃったわけです

この「むね」とは「みね」とも言います

先に言うと 神様仏様が宿る場所それを 「むね」「みね」と言います

山の峰 建物の棟 皆さんの胸 言葉の旨(言霊) 神仏の宿る場所 それは解りますよね

そして 「むね」は一番大事な所だと言う事

宗教と言う言葉を 日本語にすると 「教えのむね」 となります

要は神仏の教えの1番大事な所 キモに成る部分
皆さんが幸せに成る為に1番大事にしなきゃいけない部分なんです

だからこそ 日本では信教の自由と言う法律が有るんです

宗教家と言うのは この教えのむねを 人々に説明する(説く)事なのです
説教ということです

ついでに言うと「法」と言うのもこれ同じなんです
法は 人々を縛るものでは無く 幸せに成る為にある 忘れてはいけない道 方法を言います

少し話はそれてしまいましたが 此処も大事ですから(^^ゞ

でもね ここまで話しましたが 神主僧侶になったからと言って すぐに説教が出来るわけじゃないんですよね

実際今は 学校で神主の資格は簡単に取得出来ちゃいます
生まれが神主の親族であれば も一つ簡単に資格が取れちゃうわけで・・・

で この資格取得までの間に何を学ぶか はっきり言って 神様の教えなんて学びません
これがおかしいんですよね

でも先ず資格取得とは そういうモノ 医者や弁護士も資格を取ったからと言って
いきなり 敏腕ドクターにはなれませんよね

その後の研鑽が必要で 言ってみれば 資格って言うのは
今から修行をしてもいいですよ その準備が出来たので しっかり修行にはげみなさい
そういうレベルなんです

でも 勘違いしてるんです 資格取れたらもうプロ 偉いんよ~って
だってすぐに先生なんて呼ばれちゃうから
そんな 神主は 当然修行はしません
やるのは 神社の営業業務です

正直 私のいてる西宮では 今話しているような話が通じる神主はほぼいません(^_^;)
それが現実



神主には 階位 って言うのが有って この話も何度かしてるんだけど 初めて読む方にもわかるようにもう一度話しますね
初めに頂くのが直階
先ずは我を捨て素直に成りなさい そのための修行をしなさい
そういう立場が 直階

次に権正階 我を捨てて 素直に慣れたら 次は正しい事を学びなさい
良いお手本を真似なさい

次に正階 正しい事を身に付けたのだから お手本となりなさい

次に明階 今まで身に付いたことを行動で示し 広くを照らし導きなさい
神様に代わり しっかり 世の中を照らしなさい

次に浄階 一番上になったわけです ほぼ神様と等しい所に辿りついたと言う事です

実際こんな事教えられてないし 知らない神主がほとんどです



そろそろ本題 霊感は必要か否か

そもそも霊感とは 感覚の1つ 触覚や嗅覚と同じ
皆持ってるけど その感覚を磨く事が出来ないだけ

特殊能力では無いんです
魂を感じる力 感覚です
幽霊とかお化けとかそんなレベルじゃないのね
魂はこの世の全てに存在するもの

石ころだって 魂は有ります 虫や草木 全てに
この魂を感じる それが霊感

話を進めましょうね

皆さん 指先や手で何かをさわって 熱い冷たい 柔らかい そんな感じは解るけど
例えば 紙の分厚い薄い大きく違えばわかるけど 薄い中での細かい違い解りませんよね
重さも きっちり同じ重さを 秤なしで計れませんよね

それをできる人は 職人 とか 神業とか言われるんですよね
でもこれは磨けばだれにでもできる
元からある感覚だから

磨くか磨かないかの違いなだけ
霊感も同じ 元からある感覚 使えるか使えないか

でね この霊感 曲者なんですよ
汚れた心で この霊感を磨いたり

大事な所(心)が育ってないのに 霊感を使ったりすると  間違ったモノが見えてくる

これは霊感じゃなくても 他の感覚も同じ

きちんとしたプロセスで 磨いて行って初めて 本当の見えないモノが見えてくる
そうでないと 間違ってみてしまうんです

そして物事は段階が有ります 神主の階位も同じ
低い段階だと 低いものしか見えません
だから 段階をきちんとふんで 上がらなければいけないんです
低い段階は騙されることが多いんです
皆さんも分かりますよね
経験値が低い人 物事を知らない人は だまされたり 惑わされたりしますよね
判断材料が無いから 信じちゃう 楽だから

霊感も同じ 経験値が低いと 見誤るわけです

霊感を使えるとすれば それは正しい修行の下 本当の浄階になった人だけ

あ 此処で 私のように この神社界の意味のない 階位に執着していない人は
試験なんて受けないので 浄階にはなれませんけど

肩書でなく心ですね

では 結論と いきましょう

神主僧侶は 所謂霊感が働かなくてもいいんです
と言うよりむやみに働かせてはいけないと言う事

其れよりも その霊感を磨く事に専念するわけです それが修行なんです
それが 階位に込められた 意味

神主僧侶に必要なのは 霊感よりも 思いやりの心
神様を思いやる心

それだけなんです

神様を思いやる すなわちすべての事を思いやる事

だって 神様が 大事にしてる 人であったり動物植物
この世に存在するすべてが 神様には大事なんです

それを大事にする事は 神様が望む事だからです


これ逆じゃダメなんですよ

結果同じであっても

でも逆だと同じ結果にはなりません 絶対に

途中まではうまく行ってても 最後は 失敗に終わります

今の日本を見れば一目瞭然ですよ

この神社界を見ても同じ

一神教の国があるのもここなんですよ

神様を中心に物事進めなければ間違ってしまうと言う事が解っていたから

でも今は 一神教で有っても神様を中心に 思いやりの心をもって日々過ごしていないから
自分たちの私利私欲に神様を使っているから 戦争なんかを聖戦なんていうんです
勿論聖戦は存在しました
でも神様の言う聖戦と 今の聖戦は全然違うんです
戦(いくさ)はしても争っちゃダメなんです

神様が望む事 だんだん 人間には理解できなくなった と言うより すでに理解できなくなったんですね
霊感が磨かれていないから・・・

だから神仏に願うんですよね 幸せに成りたいって

これ願う必要ないんです

神仏の望みがそうだから

言ってみれば すごく失礼なお願いなんですよ

世界平和をお願いするのも・・・

世界を乱しているのは神様では無いから・・・ 人間だから・・・

もし皆さんが何かに苦しんでいるなら それも 神様がわざと苦しませてるわけでは無いって事

人間がしてる事なんです 結局は自分たちが招いているんです

だからお願いしてもだめなんです


これ等を叶えるためには願う事では無く 教えを学ぶことなんです
そしてその教えに従って生きる事

今の宗教界は 此処を忘れて お願いしましょう  御祈祷しましょう
邪魔なモノは払いのけちゃいましょう 取っ払いましょう
これもう 詐欺ですよ(^_^;)

でも祈る事はしなきゃダメ

祈るとは 言い宣べると言う言葉が語源
その願いの為に私はこうしますああします と 神様に約束する事
これを祈ると言います

約束しないは 神様やってね 宜しくっ! てのは無いですよ
言葉は丁寧にしたってそういうスタンスじゃダメって事

そして皆さんがすべきことは教えを守る事 教えに従う事
人間のじゃないですよ
神様仏様のです

日本人が持っている 持っていた?
常識では無く 良識ね これが神様の教えから育った心なんです
常識って言うのは人間が育てたモノ
神様関係ないんです

その 良識の本当の意味や心 何故そういう良識が生まれたのか育ったのか
こういう事が解ってないといけないんです

それを教えるのが神主僧侶

それを知らない しないのは 神主僧侶では無いって事
偽物 似せもの です
神主僧侶に似せてるだけで 実際は違うって事

いま ほとんど偽物ばっかりだけど・・・


神主僧侶は 正しい教えを説く事が絶対条件 皆が幸せに成る為に

間違った教えを説いては絶対にダメって事です

所謂霊感よりも この事を肝に据えているかいないかが 重要なんです

そして この神様を思いやる心が始まりとなるから 修業は進むのです
霊感も磨かれるのです

全ての存在の真実の魂を感じるように成れる
それは自分の魂も美しく磨かれた状態

それが究極のしあわせと表現できますね
皆が美しい魂なのだから

それは此の宇宙の全てが磨かれる事にも繋がるんです

皆さんも同じなんですよ

神様を思いやる気持ち これがあるから幸せに近づけるんです
忘れないで(^^)

神様が何を望んでいるか

皆さんが何を祈るのか 神様は その声を聞きたいのです
お願いね ってのは聞きたくないんですよ(^^)

皆で本当の磨かれた魂を感じられる世の中にしたいですね

何時もの如く 長くなりましたが 何か得てもらえたなら幸いです