鳴尾八幡神社

鳴尾八幡神社

貴方に伝えたい 幸せへの道

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皆さん随分間が空いてしまいましたが いかが お過ごしでしたか

ニュースでは あちこちで 最高気温が 体温以上になっているということです

皆さんの地域はどうですか  おからだ気を付けて下さいね

 

では ご挨拶はこのくらいにして

 

今日は お盆について これお彼岸でも言えるのですが

 

皆さん お墓詣り きっと大事にしてると思います 亡くなった方を偲ぶと言う意味で

中にはまじないやなんかで 御先祖参りしないから祟られてるんです なんて言われてあわててお参りする方もいるでしょうし

なんか祟られたり 罰当ったら嫌だからとか

確かな根拠も無く流されるままにお詣りする方も

皆さんはどんな思いで お墓に出向いているのでしょうね

 

まず お盆の行事には 迎え火 送り火 この相対する行事が有ります

しかしながら あまりここに意識をもってお盆に臨むかたは少ないのでは

 

日常の会話で出てくるのは お盆だからお墓参りしなきゃ とは 聞くけど

お盆だから 御先祖様をお迎えに行かなきゃ とは 聞きません 信仰を重んじている地方に行くと 聞こえる話ですが

 

最近のお坊さんの話を聞くと こういう話はあまりと言うかほとんどなさいません

それ以上に お盆の御供養が 7月の半ばから始まるところも沢山有ります

貴方のお家はどうですか 今年は〇日の○時からでお願しますなんて お寺からの連絡有りませんか? もうこの時点で そのお坊さんは お盆を逸脱して 営業に走っています

汗かきかき 袈裟振り乱して

 

で 確かに檀家さんが沢山あれば在るほど各ご家庭の御供養は お盆当日には出来ません

致し方ないのかもしれません

そもそも  こういうスタンスで 御供養するようになったこと自体がおかしいのではないかと思っています

 

神道では 所謂 コミュニティー毎に 全ての行事は営まれていました

各家庭での所謂 供養(祭・神事)は家長が取り仕切り神主・僧侶の代わりを務めるのです

そして 大きな神事は コミュニティー単位でそこの村の神官僧侶が取り仕切るから うまく回るわけです

 

盆踊り 今はただのイベントですが そもそも これが村単位の御供養なわけですね

若しくは お寺さんで行われる法要 そこに檀家さんが集まり御先祖様の御霊が集まるわけで 初めて意味が表れてきます

 

では  御先祖様は どうやって そのお寺御本堂にお越しになるのでしょうか

と言うより

先ず御先祖様は どこにいらっしゃるのかが きちんと定義付けされていなければ話は始まりませんね

多くの方は お墓に 話しかけています よくある光景ですね

と言う事は お墓にいらっしゃる と言う事です

 

では 何故 毎日お仏壇に話しかけているのでしょうか そこに居らっしゃると思っているからですよね

 

おかしいですね・・・ 矛盾しています

 

毎日お仏壇にいらっしゃるのにお盆やお彼岸の時だけ 大慌てでお墓に行かれるのでしょうか御先祖様は・・・

そんなはずは有りませんね

 

というか そもそもお墓などを持つと言う習慣すら 本来なかったのです 時代が下って来てからの葬り方です

それが 今ではお墓が無ければ安心して死ぬことも出来ない 世の中です

日本の信仰は 御先祖様は ひとところにじっとしているのではなく野山にいらっしゃる

自然に帰る といわれていました もう過去形ですね

いまそのように思い過ごしている方はまあ いないでしょう

だって死んだら終わりって多くの方が言いますから

 

話し戻して答えは 自然の中にいらっしゃるのです 御先祖様は

逆に言えば ひとところに居てはいけないとも言えますね 不自然ですから

 

人は 無くなれば自然に帰る だから 土葬 風葬 などと言う葬り方が有ったわけです

普通に考えて お墓にじっといるの嫌じゃないですか?引きこもりじゃあるまいし(笑)

 

お墓に手を合すのは 神道の 依り代と言う観念から生まれた 行為だと思われます

自由に自然の中にいらっしゃる神々をそこにお迎えして祭りをする そこから来たのでしょうきっと

 

まあ 要は神道と仏教が ごちゃごちゃになってるのが今の宗教観ですね

現代人が作り上げた現代人の宗教で だから矛盾が山のように有ると言う事です

 

御先祖様と私たちは いきてる世界は 同じなんです

生きてる世界が同じだから 守ってもらえる 導いてもらえる

所謂あの世とは 実は この世なんですね

だから お盆にあちこちバラバラになってどこかにおられる 御先祖様を お迎えするのです

 

お家の前で 迎え火をたいて

若しくは お寺や 村の広場で 村人皆が集まり 大きな迎え火をたく

そうして 野山に居らっしゃる御先祖様にここですよ お帰りなさいと お出迎えをして お家にお連れするわけです そして親族一同が集まり御先祖様とゆっくりと時を共に宴を過ごす

御供え物は その宴のお料理と言う事です

 

そして 時が来たら 御先祖様は 又自然にお戻りになる そのための送り火です

 

そろそろ 皆さんも お盆やお彼岸 もう少し大事にしませんか

こういう習慣があるから 価値観があるから 死を恐れる必要も無く 死へ逃げる事も無く

生を大事にできると思いませんか

 

お墓の前で 安心してください とか 安らかにとか話す前に 日常 御先祖様や 亡くなられた方が安心できるように過ごしませんか 心配かけずに過ごしませんか

 

ほんとうはそれが一番大事なんだけど・・・

こういう行動があってこそ お墓やお仏壇の前での言葉にも重みがあると言うモノです

日常すっかり忘れて 過ごしていて その時だけって言うのもね そう思いませんか?

 

これは宗教から離れても同じ 両親の教えや導き

先生や友人 いつも大事にしているから お誕生日や 記念日の重さも変わってきますよね

 

最近の日本は ○○を忘れない為にその日だけ思い出すかのようにイベントを行います

 

○○の日 ○○記念日 ○○慰霊祭 等々

勿論日常その事を忘れずに過ごして 過ちを犯さないよう 前向きに 感謝をしている人も大勢いらっしゃるとは思います

けれど ネットや新聞雑誌に書かれてある記事や 日常街で見かける言動から

その事を日常心に据えて生きているとは思えないのです 自分の生きたいように生き やりたいようにやり 他人の事より自分の事 お金の事 そんな日常ばかりが目に飛び込んできます

 

記念日や ○○の日に口に出す言葉とは裏腹な言葉ばかり

御先祖様も 御心配ですよ そう思いませんか

 

お盆や お彼岸 お正月が カレンダーで赤いのは 親族で村で 祭・法要をする為です 遊び呆ける為じゃないって思い出して下さい

 

こういう 信仰があるから 日本は豊かで安らかな国だったのです

感謝の心と 見えない事を重要視する心と(見えないからこそ大事にする)

ここが大事なんですよね

 

所謂 民度の高さはここから培われてきたのです

しかし今は・・・

 

またまた 言いたいことつらつら話しましたが 皆さんにとって 大事な価値観だと思いますよ

 

取り入れる入れないは 自由ですが

取り入れた方が 豊かさは絶対に 広がると思いますけどね

 

では 御先祖様としっかり語りあって下さいませ

御先祖様のお話きちんと聞いて差し上げて下さいませ

それが 供養の始まりです 幸せの始まりです