普段、私たちがコミュニケーションで常用している

言葉があります。

 

その目には見えない言葉から、私達はたくさんの

恩恵を得る事ができます。

 

「ありがとう」という言葉を、人から言われると、

体がとても気持ち良くなります。

感謝される事は、気持ちが良いものだと感じます。

気持ちよくなりますが、形としては残らず、その

瞬間を過ぎ去ると、それすら目に見えません。

 

時間が経つに連れて、感謝された事自体を

忘れてしまう事も起こります。

 

頭の中で、

「あなたは感謝されてるのですよ、良かったね」

という事を考えるから、体が嬉しくて反応して

いるのか?

それとも言葉自体が、何等かの影響を及ぼすのか?

食事と同じで自己満足なのか?理解に苦しみます。

 

 

人間には、欲求がありますので、「感謝されたい」

という欲求が働きます。

一度でも「ありがとう」という感謝をされると、

また「感謝されたい」という欲求が出てきます。

 

しかし、

「これをすれば感謝されるだろう」という

一人歩きが始まると、そうは行きません。

 

受け取る人によっては、感謝を言葉にしない人も

少なからず存在するからです。

 

私の場合、

「これをすれば、喜ぶかな?どう反応するかな?」

くらいの軽い気持ちで「種まき」してます。(笑)

 

種まき」くらいの気持ちでしていると、

不意に言われる「ありがとう」がとても新鮮で

気持ち良いからです。

 

自分が蒔いた種に気づいた人が、時間が

経った後に、

 

●「〇〇さん、助かったよ、ありがとう」

●「〇〇さん、気が利くね、ありがとう」

●「ビックリした、ありがとう、良かった」

 

自分が忘れた頃に言われると、

とても得した気持ちになるのです。(自己満足)

 

 

ここからは、私自身への戒めのために

記事にします。なぜか?というと、感謝する事・

感謝される事は、自己満足ではいけないと

思うからです。

 

良かれと思ったのは、自分自身だけであり、

相手にとっては、その行為自体が不親切になる

事もある、という自覚が必要だからです。

 

 

よくよく考えて見ると、「ありがとう」を

言われたいのではなく、

 

● その人に楽をして貰いたい。

● その人の業務の手助けをしたい。

● 気持ち良い環境を提供したい。

● 笑顔が見たい、喜んでもらいたい。

 

このように、自分自身のエゴが、たくさん

潜んでいるからです。

 

だからこそ、相手から予想外の反応が起こった

としても、感謝が得られなかったとしても、

 

▼ せっかく機転を利かせたのに・・・

▼ せっかく手伝ったのに・・・

▼ せっかく掃除したのに・・・

▼ せっかく場を盛り上げようとしたのに・

 

このような考え方に陥らないためにも、

しっかりと、正直に、不愉快な気持ちに

させてしまった事について、

 

「出過ぎた事して、ごめんなさい

 

この言葉も大事にしたいと気づきました。

 

 

 

「ありがとう」 という感

「ごめんなさい」という

 

どちらにも「謝」の文字が含まれます。

部首で分けてみると、

「言葉という弓を射る・放つ」と読めます。

 

目に見えない「言葉」という弓を射る時は、

相手の心の的を観て、正しく射抜けるよう

心がけたいと思います。

 

本日の記事は、以上です。