私は義務的な学校の授業が、あまり好きでは

ありませんでした。

 

学年が上がると、まとめて教科書が配布され、

1学期から3学期にかけて、1教科1~2冊の

本を、「これでもか!」

というくらい時間をかけて、1年を通じて

授業を受けていくからです。

 

退屈でたまりませんでした。

 

 

今思うと、その気になれば、内容を理解できるか

どうかは別として、2~3日程度あれば、読破

できる文字数であったと記憶しております。

 

でも、自分が興味のある内容では無いので、

本を開くというモチベーション「動機」が

ありません。

 

 

「それを覚えたら何に役立つの?」

という意味さえも、先生と呼ばれる人達からは、

具体的に教えてもらった記憶は無く、モンモン

とした授業を、その当時は受けていました。

 

 

将来、何かの役には立つからとか、

テストで良い点数を取るためだとか、

立派な大人になるためだなど、モヤモヤした

理由付けの説明ばかりです。

 

 

 

●「要点」を伝える術が、先生達の個性や

力量によっても変化しますし、また、授業を

受ける生徒の個性や、理解力に応じても、

要点を捉える力量が違います。

 

 

それなのに、いつまで経っても義務教育の

環境は変わらず、淡々と時間は経過していき

取り残されている感が生じたのは、小学

5年生くらいからでした。

 

 

私は、必ずテスト前に「一夜漬け」をして挑む

タイプでした。

クラスの友達と、遊んでいる時間の方が

その当時は大切だったので、

成績は二の次、三の次という感覚でした。

 

 

中学3年生までは、記憶力があり、得意だった

ので、学問は身に付きませんでしたが、

それでも一夜漬けで、何とか対応してました。

 

高校生時代は、進学校という事もあり、

ますます取り残されていきましたが、

部活動の仲間との時間や、友達との

交流が、唯一の楽しみでありました。

 

成績は?というと、1学年300人程度でしたが、

私の後ろには、10名程度しか、

おりませんでした。(笑)

 

 

 

先が見えていない思春期時代に、進学校へ

進学した事が、そもそも間違いでしたが、

志望動機は、ただただ、授業料の負担を

両親にかけたく無かったからだけでした。

 

(私立より県立という風潮だったため)

 

 

 

「義務教育」という環境を、この歳になって

振り返ってみると、日本の国家としての

教育における方針「要点」は何なのか?

 

とても疑問に思います。

 

私が考える、教育の要点とは、

子供達が、将来の自分像を明確に把握し、

そのために必要な知識や教養を学び、

年齢や学年とともに、成長できる環境

だと思います。

 

コロナ禍におけるリモート授業を見ていると、

住んでる地域や、場所に関わらずとも、

優秀な先生の授業であれば、数千人単位でも

受けれるのでは?と思います。

 

なので、国語・算数・理科・社会などの、

小学校における必須科目に関しては、国内に

優秀な教師がいれば、その先生による授業を

リモートで行えば良くなります。

 

体育や家庭科などの科目については、

地域のコミュニティなどへ参加することで、

社会性も同時に身に付く事になります。

 

将来の教育について、現在の法的な枠組みから

脱却して、色々な意見が出てきて、将来的には

義務教育の「要点」が見直されたらいいのになあ

と思っています!