おはようございます
昨日無事に台湾から戻りました
記憶が新しいうちに、また思い出を振り返ろうと思います。
今日は通院で、今回から頻度が週一になります。
先生には旅行に行っての気持ちの変化などをお話しするつもりです。
体重も測るのでドキドキです…
前回までの間に、今のままでいるメリットと変わるメリットを考えるワークがありました。
その時は時間制限もあり、飛行機の中で暇だったので改めて整理してみました
中学2年生頃からダイエットを始め、1回目のピークは中3卒業〜高校1年生のあたりでした。(この時は拒食のみ)
高校2年生からは過食嘔吐になって体重は徐々に戻ったものの、30kg後半が自分の中で許せるボーダーラインでした。
有難いことに母親は理解があって、ずっと私を支えてくれました。
私は父との中ですれ違いが多く、それがこの病気の大きな要因でもあると思っています。
父はADHD気味で、自分の感情を言葉にできず、不満なことがあると閉じこもったりキレる人でした。(暴力は無かったですが)
コミュニケーションが取れないことがストレスでしたし、父がキレると母が悲しむので、キレないように顔色を窺って過ごすことが癖になっていました。
これは今の私が人の顔色を気になってしまう要因だと思います。
加えて、父は学歴コンプレックスがあり、レッテルをつけて差別する発言が多い人でした。
学歴や経歴で人を判断する発言があるので、私も小さい頃からテストの点数や順位に対して厳しく考えるようになりました。
「頑張っていないと評価されない、愛されない、認めてもらえない」と思ったのは、この過去が関係していると思います。
良い点を取らないと褒めてもらえないし、順位が下がれば見放されてしまうのではないか…
苦しいこと・限界が近づいていることに気が付かず、私は頑張り続けていたのだと思います。
中学の頃は3年間テストで学年1位を取り、そこから下がることがむしろ恐怖でした。
高校受験も絶対に失敗できない(今思えば落ちたってなんとかなるのに)と思っていて、
合格点には余裕なのに強迫的に勉強を続けました。
この時にはもう低体重でしたし、拒食症になっていましたね。
高校に入ったら強迫感による勉強も緩んで症状も和らぐかと思えば逆で、さらに進行していきました。
県内1の進学校だったのもあり、地元の中学校ではいなかったレベルの子に囲まれて、
自分が1番じゃないことを知りました。(井の中の蛙ですね)
私は1位であることが自分の価値だと思っていたので、1位じゃないことがすごく怖かったです。
だから、代わりに体型で1番になりたい・痩せてこっちを向いてもらいたいという思いで痩せ続けていました。
もはやこの辺りでは低栄養すぎて、正常な判断ができなくなっていたと思います。
1位にはもうなれないけど、そんな私でも気にかけて欲しかったんだと思います。その方法が痩せることしか分からなくなっていた。
最低24kgまで落ち込み、高校1年生で2回の入退院をします。
1年目に学校に行けていた期間は半年くらいでしたし、33kgで退院を無理にしたので、華やかな、憧れていたJK生活とは程遠かったです。
体育祭は動けないので参加できない・文化祭は食べれないので屋台を回ったりできない・体育も参加できない・お弁当を友達と食べれない
校外学習でBBQを一緒にできない・修学旅行に行けない・休日に友達と遊びに行けない…
失ったものが多すぎて、正直書き出すのも辛いです。少女漫画が昔から大好きで、青春するのを本当に楽しみしていたのに。
食事が普通にできないって、本当に過ごし辛いです。食事ってコミュニケーションの手段でもあるんですよね。
痩せていることにこだわり続けて、その時は後悔さえもできませんでした。今後悔できるのは、正常になってきている証拠かな。
ここまで振り返るだけでも、変わるメリットを感じます。
ただ、普通で良いんです。体型や体重に振り回されず、自分のありのままで、気持ちを大切にして生きていきたいです。
当たり前って当たり前じゃない、日々の小さな幸せに気がつくことができること。
後悔しているからこそ、幸せに貪欲になれるのかもしれません。
過去は変えられないので、これからを。
今日も良い一日になりますように