中島らも、という人がいた。
アル中で、躁鬱病で、
ひねくれてて、でもどこか可笑しくて、
どーでもいいような話ばかり書いていた人だ。
でも文才はあるので、そんな雰囲気が好きでよく読んでいた。
でもどーでもいいような話ばかりだから、あんまり内容は覚えていない(笑)
彼の書いたエッセイに
「愛をひっかけるための釘」というのがあって
その中にたった一つだけ、忘れられない話がある。
タイトルは「サヨナラにサヨナラ」
時々無性に読みたくなる、3ページくらいの短いエッセイ。
今日は少しだけ抜粋、、、
ところでこうしたことをかんがえているうちに
僕は奇妙なことに考えついてギョッとしたことがある。
我々が目にするもの森羅万象、何ひとつとして「現在」のものはない。我らが見ているのはこれすべて「過去」なのである。
たとえば我々は太陽を見るが、それは厳密に言えば今から八分前の太陽の姿である。
遠い丘の上で恋人がこっちに向かって手をふっているのが見える。その丘が1キロメートル向こうだとすると、その恋人の姿は光速の「二九万九〇〇〇キロメートル分の一秒前」の姿である。
たとえ僕の目の前のテーブル越しに、愛する人が笑っていたとしても、それは「無限分の一秒」過去の笑顔なのである。
人間の実相は刻々と変わっていく。
無限分の一秒前よりも無限分の一秒後には、無限分の一だけ愛情が冷めているかもしれない。
だから肝心なのは、
想う相手をいつでも腕の中に抱きしめていることだ。
ぴたりと寄り添って、完全に同じ瞬間を一緒に生きていくことだ。
二本の腕はそのためにあるのであって、
決して遠くからサヨナラの手をふるためにあるのではない。
