皆さん、ご機嫌まっすぐでしょうか?

私のテレビ史について触れたいと思います。


まず、私は大館出身です。

大館市は青森県と県境を接しているため青森のテレビを見る習慣が昔からありました。


小学生の頃の話。


小2か小3辺りのある日の事。

 当時はロータリー式のテレビ(いわるゆダイヤル式のテレビ)でした。


 ロータリー式テレビって上がVHFで下がUHFでした。

トッピーさんとは似てます。


子どもの時って 様々な事に興味持ちます。

私はテレビのUHFのツマミが何のためについてるのかと思っていてそれで秋田テレビが57チャンネルに固定されていてUHFのツマミを左へ回しました。

すると・・・49チャンネルと47チャンネルでザラザラでNHK総合、教育(現:Eテレ)が映ります。

なぜ?と思いました。

あとあと大館南中継局である事が判明しました。


そして、さらに左へ回します。

すると40チャンネル付近でザラザラ画質で見たことのないCMが映ります。

秋田テレビかと思いもう一度右へ回して57チャンネルに戻します。

「CMが違う!」と気づく。

そして再び40チャンネル付近に戻す。


しばらく見てたら「青森市文化会館にて開催…」とコンサートのお知らせ。

さらに見ていくと「ATV青森テレビ…」と。

青森テレビと判明します。


さらに左へ回すと27チャンネルと25チャンネルでNHK総合と教育が映ります。

あとで比内中継局である事が判明します。

ABS秋田放送も比内中継局の開局の時はさらにこの頃なるとリモコンのテレビになります。

23チャンネルに合わせてザラザラ画質ながらABSを見てました。


話をと戻して・・・

そしておばあちゃん家のテレビでも試しました。

すると青森テレビが38チャンネルである事が判明します。


その後はUHFのツマミ回して青森テレビのお気に入りの番組を見ます。

特に日曜昼は「ロッテ歌のアルバムNOW」そして午後の「サブロー・シローの歌えヤング大放送」を見ていました。

ザラザラ画質でもそんな酷いものでもなかったんです。


平日は「ATVニュースワイド」「JNNニュースコープ」をたまに見ていました。

ニュースコープの田畑キャスターとか懐かしい。

あの電子音のようなテーマ曲聞くと懐かしい。

家族で夕ご飯食べる時間なのであの時間帯はずっとABSでした。

1988年春からはABSは徳光和夫さんの「NNNニュースプラス1」が開始します。

ABSは「ABSニュースワイドプラス1」としてリニューアル。


時間帯によってABSと同じ番組なってて不思議に思ってました。

例えば「JNN8時のニュース」とか「兼高かおる世界の旅」とか。





「朝のホットライン」では秋田からも中継がありました。
よって青森テレビでもABS秋田放送でも丹内百子さん(現:丹内モモコ)を見る事が出来ました。

さて、お気づきだろうか?

RAB青森放送について一切触れてませんよね?

というのもアナログ放送の時は青森放送を見るためには青森放送用のアンテナを設置する必要がありました。

というのもVHFは大館中継局は垂直偏波で青森放送は水平偏波です。


よって水平偏波の青森放送用アンテナを設置する必要があります。

ところが、我が家では系列同じなのとそこまで金かけたくない理由からUHFは秋田テレビと青森テレビのみ視聴でした。


その後、秋田県も民放3局化なります。

1992年に秋田朝日放送の開局です。

開局前に試験電波が出ます。

テレビ雑誌には、開局についての情報も出ていてABSでも予備免許交付云々とニュースでやってました。


いつから電波出すのかとテレビのチャネル設定をイジってました。

その頃にはもうリモコン式のテレビです(古い言い回しw)


57チャンネル固定で57チャンネルより上か下かで迷いました。


まず試しに 57チャンネルより下をイジってみました。

するとある日の事。

40チャンネル近くでザラザラ画質でカラーバーが出てきたんです。

「何で変な時間にカラーバー出てるんだろう?」と思い見てました。

そして「あっ!新しいテレビ局のだ!」と気づきました。

しばらく見てたら「ジェイオーエックスエックスティービィー…こちらはAAB秋田朝日放送です、ただいま試験電波発射中です」「ピーーー」と聞こえてきました。


チャンネル設定を57チャンネルに戻し57チャンネルより上の方に合わせてみます。

すると鮮明な画質で秋田朝日放送の試験電波が。

この鮮明なカラーバーが映っただけで感動したものでした。


今ならインターネットで情報を調べられますがあの時代はインターネットがないためテレビ雑誌などが頼りでした。


カラーバー見てて開局が待ち遠しくなってきました。

その後、試験放送になり内陸線の車窓からの映像がずっと音楽に乗せて流れます。

ますます開局が待ち遠しくなってきます。


そしてサービス放送開始。

初めて見るテレ朝の番組に感動。

何もかも見るものは新鮮でした。


そして和気徹児アナ(当時)は緊張のあまりカチンコチンになりながらニュースを読んでます。


そして開局当日は、朝から開局記念番組。

私はなぜか開局記念番組は少しだけ見ておABSではお初となる「ジパングあさ6」「ズームイン!!朝!」を見てました。

それまではハプニング大賞などでしか見られなかったズームインの映像がリアタイで毎朝見られるとの事でそちらを。

「やじうまワイド」よりも「ズームイン!!朝!」でした。


南海放送社史より

この1992年10月1日の「ズームイン!!朝!」は愛媛の南海放送もネット開始で特別企画で「秋田と愛媛お国自慢対決」が放送されました。
秋田放送からは井関裕貴アナ、南海放送からは山下泰則アナ(当時)が。
どちらも初代キャスターです。

この日は秋田放送の中継に青森放送とテレビ岩手も応援で来ていて玉川温泉から青森放送のキャスターの青山良平さん、男鹿からはテレビ岩手の平井直子アナ。

南海放送からは西日本放送から山崎達也アナ、高知放送から浜田容助さんが応援で。

南海放送の中継には来島海峡から西日本放送のキャスター山崎達也アナ、道後温泉から高知放送のキャスター浜田容助さんが中継でした。

ん?あれ?
そう!佐竹知事のじゃこ天発言です。
実はこの30年以上前から秋田と愛媛は繋がっていたのでした。

話を戻して・・・
AABの番組で特に開局当時に凄いと思ったのが久米宏さんがキャスターの「ニュースステーション」です。

夜10時からニュースやるなんて斬新とあの頃思いました。


そして月日が流れて家は引っ越します。

引っ越すと青森テレビが今までよりさらに鮮明に映るようになります。

引っ越したと言っても数メートル先ですが(笑)。


それでチャンネル設定イジっていたら白黒でザラザラ画質で何かが映ってました。

 「何だろう?」と思いしばらく見てました。

するとテレビ北海道(テレ東系)でした。

アナログ放送にして5系列見られた事。

幸せでした。


が、しかし・・・

地デジ開始によりテレビ北海道が映らなくなりました(泣)

北海道テレビは秋田テレビ能代中継局と混信して停波しないと見られませんでした。


ふと、 青森のテレビは地デジで映るのかとデンコードー(現:ケーズデンキ)で安いマスプロのデジタルチューナーを購入してチャンネル設定してみました。

すると・・・青森朝日放送だけ地デジの試験放送が映ってました!

肝心の青森テレビはというとほとんど映らない(泣)

たまに復調して映る場合も。

RABとNHK青森はというと全く映りません(泣)

なのでアナログ放送で青森テレビ見てました。


そしてまたまた引っ越します。

すると引っ越し先の物件には青森テレビ用のUHFアンテナが付いてました。

地デジ対応テレビは2007年に購入。


チャンネル設定してみるとこうなりました。






青森の地デジが全局映るようになります。
ここから独り暮らし。
夕方はABSとRABを見比べてみたりとか。
その後ケーブルテレビにも加入してBSも映るようにしてチャンネルが増えます。

同じ系列だとローカル番組の違いやCM差し替えを見比べてみたり。
青森テレビは凄く鮮明に映るようになりました。

今となれば懐かしいです。
ざっと私のテレビの歴史でした。