昨日は自分の行動を縛りているのは

自分自身だということをお話しました

自分自身でブレーキを掛け

自分自身で心の手足を縛った状態で

何かにチャレンジする

上手くいかない

がっかりする

恐る恐るまたチャレンジする

また上手くいかない

がっかりするの繰り返し

で何かにチャレンジすること自体をあきらめてしまう

 

またはチャレンジをあきらめさせるような

ダメ出しばかりする人に依存するようになる

そんな人の気まぐれのような褒め言葉に依存して

自分の思うようにいきれない

という事を書きました

 

今日はなぜそんな不自由なことを選択してしまうのか

どうしてそんなことばかりしてしまうのか

いつそんな考え方が身についてしまったのか

について

 

端的に言ってしまえば、すべて両親との関係性の中で出来上がったものです

よく観察してみればわかることなんです

たとえその人が大人しい人であれ、荒々しいしい人であれ

自分を縛り付けるような考え方をしてしまう人は

間違いなく両親との関係性の中で

自分の行動を縛り付ける関係にあったはずです

 

特に大人しい人の場合いい子にしてると褒める

いたずらをすると怒る(叱るではありません)

子供は褒められることで良しあしを覚えていきますから

自分独自の考え方、それに基づく行動ができなくなってしまう

さらにそれは思春期に青年期の独立期にも

影響を与えてややもすると独立できないように

あれこれしてしまう

例えば独立できない程度のお金を

与え続けるなんてのは本当ひどいと思います

そんな関係せいのなかで自分を殺すことばかり

覚えた結果、知らず知らずのうちに

自分を縛り付ける考え方を身に着けてしまう

 

インドでこんな話を聞きました

象を子供のころから足を木につないで飼っていると

その木をなぎ倒せる来るくらい大きくなっても

象は逃げないし、縛ってるロープをはずしても

逃げないそうなんです

その象にとっては逃げられないのが普通だと

植え付けられてるので、ロープがなくても

逃げる発想が起きないそうなんですね

 

これと同じことが人でも起こっていて

自分の中に両親の考えから離れて

自分の考え方で行動していくということを

あきらめてしまうようになり

他者との関係性が両親との関係性を

持ち込み自分にダメ出しする人が親切な人のように

思えてしまい、自分自身をどんどん失っていって行くんですね

 

で、何かあると待ってましたとばかりに

両親が介在してきて自分で解決する機会を

また奪われてしまう

 

両親が生きてるうちはいいのだけど

亡くなったあともそれは続いていくので

最後まで自分を失ったまま生きる羽目になってしまう

 

そのくらい両親との関係は子供に影響を与えますし

人の親になる責任はこれほどまでに大きいんですね

 

自分自身かなりもがいてもがいてきたのですが

人の親になり、子供と接してるうちにようやく

そのことが腑に落ちました

 

もちろんそれは親を怨めという事ではないんです

ですがその思いが心の奥深くに実はあって

それが小さなとげのように刺さったまま

チクチク痛み続けて、膿んで

その膿が行動を縛り付けてるんです

 

ではどうしたらそこから自由になれるのか

 

それはまた明日