そう、後にも先にも親が学校に来てくれたのは(期待はしてなかったけどね。
必ず来てくれ~~なんて思ったことなかったし…。)
小学校一年生のその時だけだった。
その時は父と母が来てくれたと思う。
卒業式もね。中学校の入学式も。高校もそう。来なくても大丈夫だよと
言ってた。
小学校4年生の時、もう一人好きになった女の子がいた。
矢島凉子といった。涼子ではなかったと思う。
男子校で同学年の成績の良かった高橋秀一と結婚したと
後で聞いた。秀一君は学校の先生をしてたかな?
矢島凉子も同学年でした。小学校の時、かわいかったね。
日下順子も小さい時は可愛かった。
小学校5年生の担任の先生が父親でした。国語の先生でした。
当時教頭で5年生半ばで校長になり、担任の先生ではなくなりました。
あの先生に言われたことがずっと私に影響しました。
そね田はいつも一人で考えてるって。
考えることは良いことだと思っていたから、嬉しかったけど。( ´艸`)
小学校の卒業式は生徒はみんな、中学校の一年生の制服を着ていたっけ。
おれだけ、母親が編んでくれたグリーンの毛糸のチョッキを着ての卒業式でした。
みんな制服だったから、へぇ~~?と思った。
卒業写真にもそのまま写ってました。
小学校で思い出があるのは?あとなんだろ?
運動は得意ではなく、どっちかっていうと運動音痴の部類に入るかな?
音痴ではないね。好きじゃなかったから、運動しなかったんだね。
泳げません。泳ぎ覚える場所は川だけでした。水が怖かった。凄い憶病です。
今でも泳げない。
走るのが遅かった。運動会は嫌でした。休みたかった。行きたくなかった。
走るとビリでしたから。いやな夢、何回も見ました。
たぶん、父親も泳げなかったんだと今では思ってます。泳いだ姿を見たことが
ありません。
小学校は歩いて10分の距離でした。伊達藩の城跡の前の方です。
小学校の後ろに2番目の兄貴が通っていた岩出山高校がありました。
兄貴は俺が小学校1年の時に高校1年生でしたから3年間,近くにいたことに
なります。
兄貴は運動が得意でした。体操部に入ってました。絵も得意でしたね。
器用でした。電気も得意で卒業後は、航空自衛隊の整備の仕事してましたね。
小学校の思いでって、こんなところかな?
本を読むことになったのは4年生の時から。
学校の図書館で借りた、ロシアの小説「白い牙」、夢中で読んだのを覚えてます。