自分を語る ③ | リーブラ

リーブラ

てんびん座です。
てんびん座のことをラテン語でLibra(リーブラ)と言います。
2023年の9月末で73歳になりました。
この世界はバランスで成り立っています。
そこに使命があり、この時期に生まれた理由があります。

 

そう、後にも先にも親が学校に来てくれたのは(期待はしてなかったけどね。

必ず来てくれ~~なんて思ったことなかったし…。)

小学校一年生のその時だけだった。

その時は父と母が来てくれたと思う。

卒業式もね。中学校の入学式も。高校もそう。来なくても大丈夫だよと

言ってた。

小学校4年生の時、もう一人好きになった女の子がいた。

矢島凉子といった。涼子ではなかったと思う。

男子校で同学年の成績の良かった高橋秀一と結婚したと

後で聞いた。秀一君は学校の先生をしてたかな?

矢島凉子も同学年でした。小学校の時、かわいかったね。

日下順子も小さい時は可愛かった。

小学校5年生の担任の先生が父親でした。国語の先生でした。

当時教頭で5年生半ばで校長になり、担任の先生ではなくなりました。

あの先生に言われたことがずっと私に影響しました。

そね田はいつも一人で考えてるって。

考えることは良いことだと思っていたから、嬉しかったけど。( ´艸`)

小学校の卒業式は生徒はみんな、中学校の一年生の制服を着ていたっけ。

おれだけ、母親が編んでくれたグリーンの毛糸のチョッキを着ての卒業式でした。

みんな制服だったから、へぇ~~?と思った。

卒業写真にもそのまま写ってました。

小学校で思い出があるのは?あとなんだろ?

運動は得意ではなく、どっちかっていうと運動音痴の部類に入るかな?

音痴ではないね。好きじゃなかったから、運動しなかったんだね。

泳げません。泳ぎ覚える場所は川だけでした。水が怖かった。凄い憶病です。

今でも泳げない。

走るのが遅かった。運動会は嫌でした。休みたかった。行きたくなかった。

走るとビリでしたから。いやな夢、何回も見ました。

たぶん、父親も泳げなかったんだと今では思ってます。泳いだ姿を見たことが

ありません。

小学校は歩いて10分の距離でした。伊達藩の城跡の前の方です。

小学校の後ろに2番目の兄貴が通っていた岩出山高校がありました。

兄貴は俺が小学校1年の時に高校1年生でしたから3年間,近くにいたことに

なります。

兄貴は運動が得意でした。体操部に入ってました。絵も得意でしたね。

器用でした。電気も得意で卒業後は、航空自衛隊の整備の仕事してましたね。

小学校の思いでって、こんなところかな?

本を読むことになったのは4年生の時から。

学校の図書館で借りた、ロシアの小説「白い牙」、夢中で読んだのを覚えてます。