前回からの続きです
会津若松駅から歩いて飯盛山へ向かう
途中のローソンで会津味噌おにぎりを食べる
飯盛山が見えてきた
景観保護のためセブンイレブンが茶色に。
飯盛山仲見世到着
なんか舞?行事をやっていました。
飯盛山仲見世
ここであわまんじゅうを購入。これも10年ぶり。
このつぷつぷとねちょねちょした粟の食感に程よい甘み。おいしい。
飯盛山動く坂道
江ノ島のように250円で坂を登れる。
白虎隊酒井峰治と愛犬クマの銅像
エスカレーターは途中からも登れるけど、いや、ここまで来たら頑張れよ!!って位置にありました。
飯盛山 飯盛分店
ローマ市寄贈の碑
1928年白虎隊精神に感銘を受けたローマ市より送られた記念碑。碑の表面にはイタリア語で「文明の母たるローマは白虎隊の遺烈に普及の敬意をささげんため、古代ローマの権威を表すファシスタ党章の鉞を飾り、永遠偉大の証たる千年の古石柱を贈る」
白虎隊士十九士の墓
白虎二番隊19名の墓です、向かって右側には領内で戦死した31名の墓、左側には領外の少年兵62銘の墓があります。
松平容保公弔歌の碑
奥の方に向かう
飯沼貞雄「貞吉」墓所
飯盛山まで辿り着いた白虎隊士で、ただ一人、生き残られた飯沼貞吉さん。
貞吉さんのおかげで、白虎士中二番隊が後世に伝わる。
先は通行止めになっている
白虎隊自刃の地
白虎隊は幕末の動乱、戊辰戦争は会津戦争時に会津藩士の子達で構成された最若の部隊。新政府軍との戦いで飯盛山に敗走し、そこで敗戦を悟り捕虜として藩や祖先に迷惑をかけまいと自刃した。
この像が向いてる方向に会津若松城がある
自刃した場所からは、鶴ヶ城を眺望できる。
こういう道好き
沢山の看板が飾られている
会津さざえ堂円通三匝堂(えんつうさんそうどう)
外から見ると螺旋状でまさにさざえ貝の如く。
1796年に建立された高さ約17メートルの木造建築で二重螺旋階段になっており一方通行で行き来に交錯しません。内部には西国三十三観音像が安置され、このお堂をお参りすることで参拝者は三十三観音参りが完遂できるといわれています。
山主飯盛本店
飯盛山宇賀神堂
古来よりの五穀豊穣の宇賀神(白蛇)をお祀りする他に、日本で唯一、戊辰戦争の際稲盛山で自刃した白虎隊十九士の霊を祀る
北向稲荷大明神
ここでチケットを買い
中に入っていく
郁堂禅師の像
頂上 びっしり千社札が貼られています
正宗寺開祖残夢大禅師
「天高し ピサの斜塔と さざえ堂」
白虎清水と名付けられた水
「激水は 白虎のごとし 山の春」
嚴島神社 慈母子育観音「白虎清水観音」
戸ノ口堰洞穴
飯盛山を掘り抜いて造られた洞穴で、猪苗代湖まで繋がっています。
白虎隊が、この猪苗代湖から水を引く為の用水路である戸ノ口堰洞穴を通り秋の冷たい水の中を進み自刃の地へと辿り着いたそうです。
戸ノ口堰水神社
戸ノ口堰洞穴の脇に鎮座しています
子護(子育て)地蔵尊
一通り見てもう一回さざえ堂を見て回る。
霊牛神堂
白虎隊記念館も見ていく 300円 内容は少し物足りない
少し仲見世の小路に入る。
こうして次の目的地へ。
旧滝沢本陣
国の重要文化財。会津藩の殿様の休息所などに使用され戊辰戦争の折は本営とされた建物です。
白虎隊もここで命をうけ出陣しました。会津藩の本陣で参勤交代や戊辰戦争の本営として使用された建物。国指定史跡、重要文化財です。戊辰戦争時の痕跡や刃傷が残っています。
帰りにリオンドールへ寄って買い物。
居酒屋ラーメン寿楽
ゴリラが構えている
パーラージロー いい雰囲気
ゲームハウスホクト
今回の宿は中町フジグランドホテル 着く直前に丁度雪が降りはじめてきた。
中に食堂もある。
眼鏡超音波洗浄機があったので使わせてもらう
部屋はこんな感じ 少し和風テイストも入っている
障子を開けると町が見える
リオンドールで買ったやつで夜ご飯と晩酌
夕食はソースカツ丼の弁当
そして会津名物の馬刺し 1080円
このにんにくからし味噌がうまいんですよ
りんごサイダー
珍しいあげまんじゅうも食べる。
福島県白桃のお酒
白石パンのカステラクリームサンド
中にカステラが入っててうまい
今回の歩行距離
こんな感じで次の日に続く