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さて、ずっとずっと気になっていた映画
【国宝】、

やっと鑑賞してきましたー!

ちなみに原作は読まずに見ました。


見る前に色々考えてたんですが………

歌舞伎の世界の深淵、

それも人間国宝というものを映画で撮る、

描くっていうのは無理ゲーでは?!

というのがまずありまして、

なのでこれは人間ドラマとして、

ストーリーや絢爛豪華な映像美、

俳優陣の演技を楽しむものだと。

人間国宝とは、みたいな

そんなものを知りえるものではないと。

ドキュメンタリーなら有りだと思いますが

(その意味で、野村万作さんの映画【六つの顔】は大変良かった)。


なので、
最近好きな俳優さんである横浜流星さん、

とても美しいお顔の吉沢亮さん、

(その美しい顔に食われる、と言われる役柄にピッタリはまってました✨)

そして“場踊り”の人・田中泯さんが

どのように作品世界に存在しているのか?

どのような“物語”が構築されているのか?


これを楽しみに見に行きました。

※以下、ネタバレ有り感想です。




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まず映像美!



舞台上や舞台裏の様子も、
なんと言っても衣装の素晴らしさが鮮やかに映し出されて見入りました。

劇場に行って良かったなと思えました!



そして俳優さんたちの演技が見応えありました。



吉沢亮さんは今までは顔の美しさばかりが印象に残っていたのですが、

俳優さんとして凄く力のある方なんだと知りました。

それこそ血の滲む努力をして臨まれたのだと思います。

映画の中で、師である渡辺謙さんに、

“お初として生きてないから、お初として死ねないんだ!”

と叱責されるシーンがあるのですが、

吉沢亮さん、

“喜久雄”として生きていたのだと思います。

素晴らしかったです。



横浜流星さんは期待通り格好良く、

色気も愛嬌もあり、

順風満帆なボンボンの演技も、

嫉妬に苛まれ絶望する苦悩の演技も、

死を前にした命懸けの舞台の演技も、

どれも素敵でございました。

彼が演じた歌舞伎界のプリンス“俊坊”、

もっと喜久雄のことを憎んだりするのかと

思っていたんですが、

そうではありませんでした。

立ち位置は違えど

共に“同じ釜の飯を食った”同胞、

同じ道を志し苦楽をともにした片割れ、

お互いのこと、その苦しみは

お互いが1番良く知っている、

という側面が強いんでしょうね。

持って生まれた“血”によって再起出来たことも相まって、

そこはやはり育ちの良さということなのでしょうか。


若かりし日の喜久雄と俊坊に衝撃を与える

人間国宝“万菊”を演じた田中泯さん。

“人ならざるもの”

もしくは作中の言葉でいうなら

“化け物”

を具現化させねばならないので

この映像作品を成り立たせる上で非常に重い役どころであったと思いますが、

現在の芸能界で

田中泯さんの他に誰ができるのか?

という位の役柄であったと思います。

もう少し若ければ美輪明宏さんか?

顔つき、目つき、声音、空気感、

全てが普通の人間ではない。

喜久雄風に言えば“悪魔と契約した”人間の

果ての姿。

引退したあとの万菊が、

“うつくしいものが何一つ無い”部屋にいると

“誰か(恐らく悪魔?)に、もういいよって言われてるみたいで安心する”

と言うシーンがありますが(細かい台詞はうろ覚えです、すみません。)、

これは、現在放送中の大河ドラマの中での

喜多川歌麿(演・染谷将太さん)の

“綺麗な抜け殻が残ればいい”

という心境に通ずるのかもしれません。



寺島しのぶさんの演技も良かったです。

踊りの師としての顔と、

俊坊の母としての顔と、

喜久雄の育ての親としての顔と、

葛藤。


そして、喜久雄をとりまく3人の女性たち

(10 代の頃からの恋人、

いわゆる“愛人”として子どもも成した祇園の芸姑、

役を得るために利用した?先輩歌舞伎役者の娘さん)。

彼女たちは皆、喜久雄にとって真に大切なものは自分ではないと解ってしまっていたのだと思う。

“からっぽ”である喜久雄を満たせるのは、

ただひとつ、芸だけなのだと。


そのあたりの描写は映画では最低限だったけれど、原作ではもしかしたら彼女たちの心境がもう少し描かれているのかもしれませんね。


最後に人間国宝となった喜久雄が対面した、

自身の娘。

“最高の歌舞伎役者になれるんやったら、他はなんにも要りません”

と神社で祈った(喜久雄曰く“悪魔と契約した”)その言葉のとおり、

喜久雄の人生の中で優先されず置き去りにされた娘。

彼女は父親としての喜久雄のことを恨んで

決して許せなかったのだなと思わせる台詞を吐いたあと、

歌舞伎役者としての喜久雄について

“自分を別の世界へ連れていってくれる”

と評し、

“(悪魔との契約が履行されて)よかったね、お父ちゃん”

と最後には微笑む(赦しを与えたと見れる)場面。

 

まぁ、メロドラマ的でちょっと陳腐かなと

正直思ったのですが、

喜久雄がただの人でなしに見えてしまう人もいるでしょうから、

分かりやすい赦しを

“喜久雄被害者の会”代表者である娘から与え、そこに観客が共感して

“良かったね”

となるシーンはこの映画にはあった方が良かった、という判断なのかなと推察しています。

原作もこの通りなのかは知りません。


映画自体も3時間の長尺でしたが、

私の感想も長い💦

映画は、長さを感じさせないほどに楽しめましたが、私の感想は面白くないと思います(笑)



後々見返して、恥ずかしくなったら消すかもしれませんーてへぺろ