ずっと疑問だったことがある。
その前に
私の職場は厳格なカースト制のような感じの縦社会。
それはそれなんだけど、それを一般市民に対しても求める人がちらほらいたり。
この感覚って何なんだ??
と仕事中、このことに毎日のようにぶつかっていた。
例えば、職場以外の人を「呼び出せ」とか「頼みこめ」とか。
しかも、その人、今日は休養日だし。
自分で言えば?
と言っても、自分では手をくださない。
だって「カースト制」だから。
この縦社会は、わが社の中での話でしょうが。
この感覚のまま、外部の方々に波及できるわけもなく、
おまえ(上司)はそんなに偉いのか?(偉くないだろ)と言いたいのだが一向に理解されない。
そこで上司とのギスギス、モヤモヤがお互いに生まれる。
でも、この世間知らずの感覚は、まさに「井戸の中の蛙」ってこと。
「その仕事環境しか知らなかったらそうなるかも」とある人に言われ、納得。
納得したことで、すこーしだけど気が軽くなった。
少しだけど、私にとっては大きな進歩。
だって、これまで全く理解できなかったので。
そう思うと、
いろんな経験って役に立つんだな。
労苦は長い目で見たら、自分の力となると言うし。それは本当なんだろうね。
ここからは、仏法物語から。
これから披露する物語は、数年前に知人から聞いたことがある話
およその内容は以下の通り。はじまりはじまり~。
昔、三つ目の猿が住む山があったそうな。
その山に住む猿は一匹を除いて皆三つ目だった。
その一匹だけ二つ目だった。
三つ目の猿たちは、二つ目の猿を「変わっている」「私達と違う」「おかしいんじゃない?」「変だよね」などと口々に言い、二つ目の猿を仲間外れにしたり冷たい言葉を投げかけられたりしていた。
そんな中、お釈迦様がその山を通過することになった。
三つ目の猿たちは、こぞってお釈迦様をひと目見ようと沿道に集まった。
そのお釈迦様は「二つ目」だった とさ。
ちゃんちゃん(おしまい)
つまり、狭い世界では変わり者だと思われていても、広い世界で見ると変わっているのはお前たちだってことが往々にしてある。
私の職場の中の基準しか持ち合わせていない人たちって「三つ目の猿たち」なんだろうな。
価値観が合わない人といるのって大変。
少しでも不快なことを減らす環境に移行しようか。