大雪でご苦労されている方々、大変、ご苦労様です。
私は、北海道勤務の際、雪が大嫌いになった。
ブラックアイスバーンでの運転とか、
道路が凍っているのに、その上を粉雪が積もり、タイヤがつるつるに滑る感覚を味わったりとか、
交差点で右折しようとしたら、直進車が急に飛ばしてきて、ブレーキを踏んだら、半回転して青ざめたりしたし、
大雪が降ったら、除雪車が来るまで足止めをくらったりとか、
北海道にいた結果、雪が大嫌いなった。
見るのも嫌でヘドが出る思いだ。
しかし、その後、北陸へ転勤した際、雪道での他車のノロノロ運転にびっくりした。
北海道では、雪道でもそれなりのスピードで走るのだ。
スピードがないと安定感がない。
なので、ノロノロ運転をしている方が、私にとってはよほど怖かった。
雪かきも、北海道から比べたら、お茶の子さいさいだ。
他の者で、結構、苦労していたり、嘆く者もいたが、私は北海道の徹夜の雪かきの経験など色々あるため、全く動じなかった。
更に、何年かして、再び、北陸勤務をした際、雪景色を楽しめた。
雪道を歩くのも慣れたもので、歩くどころか、雪道でも自転車で移動していた(真似しないでね!)。
何が言いたいかというと、
ものすごく大変な経験をすると、それより、大変でないことは「全て大したことではなくなる」ということ。
学ぶことでもそうだと思う。
ものすごく集中して自分が納得するところまで行ったら、
学び方はある程度、パターンが決まっているものだ。
語学なども同じことが言える。
最近、気が付いたが、第1外国語(英語)を学ぶときは、かなり時間がかかったものの(今でも、てこずっている)、
第2外国語を始める時、英語を学ぶときのように大変になると覚悟をしたものの、なんなく英語の能力まで持って行くスピードは上がり、
更に、あることから、半ば第3外国語をしなければならなくなったが、その際、2か国語だけでも精いっぱいのような気がしていたが、第2外国語よりも更にのみ込みが早くなった。
要は、「大変」なことがあると、近視眼的に見ると「嫌だ」と思ってしまうが(それが人間だけど)、
それを乗り越えたり、自分のものとしてしまえば、あとは滑り台のようにラクに着地点まで行けるのではないか。
私が子供の頃だったか、「老人になってから学ぶことは『余白に記載するようなもの』」と言っていた人がいたが、
それは、私からしたら「思い込み」なのでは?
「脳は歳を取ったら覚えるスピードが落ちる」という知識を自分で「採用」しているから覚えられないのでは?
自己暗示的な。
私の場合、年々、覚え方のコツをつかみ、以前より色々、学べるスピードがアップしているように思うのだけれど。
どうせ、苦労するなら、嘆きや愚痴より、前向きに楽しんだ方がお得だよ!
思い込みをやめて、今年の自身の人生を大革命してみませんか?