おいでくださいましてありがとうございます。
あっという間に年末です。
本当に、本当にこの一年は早くてですね。
父が倒れて今までの生活から、がらりと生活様式が変わりましてね。
いえ。
私じゃなく両親ですけど。
両親の生活様式が全く変わりまして、
私たち子どもはそれを補助する形になっています。
コロナ前は両親の二人暮しでしたが、定年後に暮らし始めた土地では近所づきあいもなく、ふたりが1日のんびりとしていました。
身体が動くうちなら良かったのかもしれませんが、地元の行事などにも参加しなくなり、本当にふたりっきりで、家の中に引きこもりみたいになっていたので、少し鬱っぽくなっていたのかもしれません。
そしてコロナもあって、しばらく会えなかった間に老いは確実に来ていたのですね。
両親ともに認知症が入ってきていました。
父が倒れて老人施設に入居し、母は福祉の支援を受けながらひとり暮らし。
子どもたちと同居できないのかとか、いろいろあるのですが、今現在はこの形で落ち着いています。
父も母も本当に寂しいと思うのですが、ようやく生活が落ち着いてきたら、見えてきたことがあります。
母は週に何度かデイサービスに通っています。
年齢的には、母より年上の方たちばかりだそうですが…人生の先輩が色々アドバイスをしてくださるそうです。
旦那さんが亡くなっても、必ず乗り越えられるわよーとか、誰でも通る道だからとか…
(父はまだ生きていますけど…😅
母は運転が出来ないので、ひとりで面会に行けないのです)
お友達に会って、色々お話できるのが本当に楽しいらしいです。
デイサービスの中でも、出来ることを見つけて積極的に手伝っているそうです。
デイサービスに行くようになって、本当に楽しいと言っています。
父とふたりっきりの時は父への愚痴とか、そんな話が多かったのですが…
今は何をしても、こんなに気を使ってもらってありがたい、ありがとうと言うようになりました。
ワクチンの予約をしても、医者に連れて行っても、ありがとう、ありがとうと言ってくれます。
「なんで私ばかりこんなに不幸なんだろう」
そんな言葉が聞かれません。
状況的には不自由で寂しいと思うのですが、感謝の言葉が出てくる母は素敵だなと思うのです。
父には滅多に会うことができません。
施設にいるのでコロナの状況により、面会ができない時もあるからです。
病院から施設に移る時も、本人と全く話が出来なかったので、家に帰れると思っていた父に「これからここで暮らすんだよ」と言う説明も出来ませんでした。
父は脳梗塞でしたので、介護の手を借りないと生活できないのですが、本人はそう認識していないようです。
身体が動くとか動かないとか、実際の状況がどうだとかは関係ないのですが、
「仕事が出来れば、どうにかなる」
と言っていました。
本当に驚きました。
父はまだ「自分はどうにかなる」と思っているのでした。
高度成長期のサラリーマン世帯でしたから、猛烈に働いてきた両親です。
自分は身体が動かないからもうダメだとか、思っていないんですね。
認知症だから、分かっていないだけだよね?
と言う見方もあると思いますが、本人が希望を失っていないのは素晴らしいと思うのです。
高度成長期のサラリーマン世帯でしたから、私も家族の中で役割を果たし、愛を求める子供でした。
渇望していたと言ってもいいです。
一時期、うちの親は鬼親だったのかと思っていた時期もありましたが、それは私の希望、エゴの目から見たものでした。
立場やフィルターが外れて、ひとりの人間として見たら、うちの親は毒親じゃなかったわ。
実は素敵な人達だったんだなあ
と、今さら感じています。
親とか妻とか子供とか、色々な枠が外れたからこそ見えた事かなと思います。
今の状況が良いことだとは思っていませんが、フラットな目で両親を見ることが出来るようになったことは、私にとってはギフトだったかなあと思います。
メリークリスマス🎄🎅✨
いつもありがとうございます✨
冬至の次の日の朝日✨
冬至は雨でした。