おいでくださいましてありがとうございます✨




今日は週末で、久しぶりのお天気です。

素敵なお出かけ日和ですね✨


と言っても病院に来ています。


待ち時間が長いので、

腰を据えて待ちます。


薬を貰うだけなんですけどねー(^^;






さて。


前回の記事です。


神様のさなることに気付いて、感嘆する。



という事ですが、

これは「気づく」=「感じる」という事ですね。



自分が、


お花が咲いて綺麗だなあと感じる。

お日様が登って綺麗だなあと感じる。

風が吹いて、気持ちいいなあと感じる。


と、「五感」を使って「感じる」のですね。




そうでなければ、


太陽の光はただの光線ですし、

風もただの空気の流れになってしまいます。



まあ、実際そういう事なんですが、

それを気持ちいいなあと「感じる」のは「自分の五感」なのですね。





また「不快な感情」は分かりやすいですが、

意外と「快の感情」は分かりにくいと思いませんか?


快も不快も五感です。


どちらもダメと言うことではありませんが、

不満ばっかり感じるよりは、

いいなあとか楽しいなあと、感じることも良いですよね。


「こういう時に」「自分は」「こういう感情を感じるのだな」と「自分を感じる」


これは自愛の基本だと思っています。





不快に感じて、不満があってもいいのです。


無自覚でずーっとイライラとか、ムカムカしていると、自分がつらいですよね。


「あ、今私は腹が立っているんだな」

と自覚出来れば、それを解消しようとすることもできます。


「感じる」からこそできるのですね。


不快な感情が好きなら、それを感じ続けるのもいいと思います。




これまで私は、不快な感情は苦手なので、感じないように感情に蓋をしてきました。


腹が立ったり、悲しい気持ちになりそうな時は、スっと「感じない」「感じなかった」ことにしていたんです。


なんでもないような顔をして、なんにも感じていない振りをしていました。


そうして過ごしていましたが、不快な思いを感じないようにしていたら、自分が何に楽しいと感じるのかわからなくなっていました。



確かに「楽しい」と感じて「顔は笑っている形」を作っていましたが、「感情が伴っていない」のが自分で分かっていました。


本当に楽しいと思っているのかしら?


と、自分の感情と気持ちが分離しているようでした。




肯認学で「不快な感情があってもいい」と習い、


そう感じても自分は大丈夫、

壊れたりしないと分かってから、



「くっそー!腹立つ!」


と不快も全開で感じています。


快も感じるようにしています。



楽しい時は楽しいなあ!

嬉しい時は嬉しいなあ!と。





当たり前じゃないかと、思う方もいらっしゃいますよね。


自分の感情を素直に感じられるのは、素直だから。


…ばかりだとは限りません(^^;



人生色々な事があって、傷つかないようにブロックも色々あります。


楽しい感情を素直に感じられない事もあります。




自分の感情に素直に、分離せずいられたら、


それこそ神様のなさることを、素直に分離せずに受け取ることが出来るはずです。


それが奇跡体験だと思います。


朝日が昇るのも、お花が咲くのも、奇跡だと思いませんか?