お久しぶりの投稿です。

 

 

なんと前回のブログ投稿から

2年もの月日がたってしまいました。

驚愕。

 

 

 

2017年の12月に腫瘍が破綻した為緊急オペをしてから3年目のCTを昨年末撮影、結果は異常なしでした。

私は根治術後、なんなら化学療法終了後からが評価の節目なのだと勝手に思っておりましたが

担当医は1度目の手術から評価してくださっているようで

ひとまず安心材料としても良いでしょうと仰っていました。

 

 

 

ホットフラッシュのため、一年中玉のような汗を額に光らせています。

サプリのエクオールを飲んでいましたが、エストラーナテープに変更になり、処方のためこれからも3ヶ月に一度の通院です。

エストラーナを使用するにあたり、乳がん検診は受けるようにと言われています。

内診は毎回していましたが、次回から半年に一度の頻度にしましょうとのことでした。

 

 

経過観察になってから、先月のこと。

初めて通院を忘れてしまいました。

再予約して先週訪れた病院で担当医は「私も忘れることあるので〜」と

爽やかスマイルでおっしゃっていましたが、お忙しい先生と同じ比重で生きていない私は申し訳なく、その優しさに玉のような冷や汗をかいて、しどろもどろのお礼を申し上げたのでした。

改めて医療に従事されている方に感謝です。

 

 

 

 

 

 

今年の1月に母を亡くしました。

66歳でした。

2019年の11月に救急搬送され入院し、体調の悪化の中検査を重ね生来の難病が発覚し、コロナ禍の中闘病1年でこの世を去ってしまいました。

定年退職後ますます不穏になりモラハラ風味ひどしの父からお互いを守るため絆を強めていた母とひとりっ子の私。

父とふたりで過ごすことで

ストレスも多く、心療内科にも通っていました。

私の休日には出かけることで

家から離れて息抜きさせてあげたかった。

晩年はどこに行くにも一緒だったので、とにかくさみしいです。

 

 

病室では花の好きな母の心が少しでも明るくなるように、また入院生活で楽しみになるように季節の花を活けてもらいました。

母を喪った冬から初夏へと季節が移ろう中で

病室を彩った折々の花と母の笑顔、過ごした日々を思い出します。

 

先生や看護師さんソーシャルワーカーさん達にはご理解ご尽力頂き、緊急事態宣言に入るまでは長時間付き添うことを許して頂けました。

外泊を目標に在宅での介護の仕方や喀痰吸引方法など

お忙しい中時間を割いてご指導もしてくださいました。

家に帰ることは叶わなかったけど、平時ではない勤務の中、願いを聞き届けてくださり応援してくださったこと、感謝でしかしありません。

 

 

私は昔からネガティブというより割り切る性格なのかな?

悪い方に想定して、自分を落ち込ませないようにコントロールするようなところがあって。

自分が罹患したときも看護師さんに受容が早すぎるのでは?と心配されたこともありました。

自分の時は、まぁ罹ったものはしかたがないなぁと割り切って考えていたけれど、母のことはずっと割り切れないままでいくのかなぁと思っています。

母は急転直下で体調が崩れていったので、本人にも家族に生死を左右するような選択を求められること度々ありました。

今も、あの時こうしていれば、こうしていたらとたらればの世界で自分を追い詰めてしまいます。

母ちゃんは帰ってこないのに、

辛かったのは母ちゃんなのに。

ごめんね。

隙があるとすっと頭をもたげてくる気持ち。

思い出すことこそがお弔いになると聞くけれど

こんな私を残してはあちらで安心して過ごせないかな?

 

 

遺品を整理していたら私の罹患当時の母の日記が出てきました。

毎日あの子の命を助けてくださいと書いてありました。

親には心配をかけたくないこともあったけれど、どこかで割り切っていたので落ち込んだりせずに過ごしていたと思うのですが、気丈に振る舞って無理をしていないか。と、逆に心配をかけていたようです。

母ちゃんこそ悲観せず、いつも通りに接してくれていたよね。

こんな気持ちを抱えていたと知らずにごめんなさい。

 

 

最後に話が出来たのは昨年の12月。

輸血して状態がよくならなければ

もう治療ができないと主治医に告げられた日でした。

急に呼び出されて仕事を休んだ私に、

辛い体調の中

来てくれてありがとう。仕事休ませてごめんね。と。

自分のことより人を優先する人でした。

そして常に感謝することを忘れない人でした。

辛い中でも笑顔を絶やさず、父や先生や看護師さんにかかわってくださった方に何かあればありがとうと伝えていました。

 

 

自発呼吸がマスクの呼吸器では補えなくなり、気管切開が決まりました。

声がでなくなることで手術の当日

自分の声を私のスマホのボイスレコーダーに

残しました。

これから頑張って生きることの決意と

皆への感謝の言葉が吹き込まれていました。

私に素敵な宝物を残してくれて、こちらこそありがとう。

 

 

 

今日はそんな母のお誕生日でした。

ずっとずっとこれからも変わらず特別な日です。

好きなお花とお寿司をお供えして、お祝いです。

こんなに早くいなくなってしまうなんて

思いもしなかったから

今年は一緒に過ごせると思っていたよ

母ちゃん。

恥ずかしがらずに目を見て伝えられる時に

自分の口で伝えなくちゃ

だめだったね。

大好きだよー!

母ちゃんの子供に産んでくてれてありがとうね!

お誕生日、おめでとう。

 

 

緊張感を求められる世の中

身体も心もこわばることが多い今

みなさまの日常がどうかやわらかく穏やかでありますように。

 

 

新盆を迎えたら

皆で食事したあとカラオケして、

千の風になってを

みんなに聞かせてやるんだ!

といっていた父ちゃん。

それって、今控えることじゃね?

とつっこんだのは先週の話。

母ちゃんあなたの夫は元気です!