パレートの法則というものがある。全体の8割は、2割が生み出しているとか、そういう本来は経済用語です。
これを応用?ではないが、いろいろなことにあてはめて物事を説明する例をよく見かけるが、要は「効率化」ということに導きたいらしい。仕事でも「効率、効率」と求められる。効率を良くすれば「得する」からだ。
効率が悪いと「損する」。
今日は、この考え方に?マークをつけたい。
何かで読んだが、アフリカかどこかで、水を汲みに行くのにとても遠い山上に住んでいる部族がいて、その土地の井戸づくりか何かに協力した人の体験談である。
ふもとに井戸が完成したので、その井戸の近くにすめばよいのでは?と提案したところ部族の人たちはこう言ってことわったそうだ。

「便利さという誘惑に負けてしまうから」

・・・・
世の中、便利になった。交通機関だけでなく、24時間あいているお店、居ながらにして、家まで品物をとどけてくれるネットショップ、、、etc。
だが、昔は、もっと不便だったが、それで生活できていたのだ。
今は、こんなに便利になったのに、生活はよくなっているのだろうか?
効率は良くなったはずなのに、余裕とかゆとり、心の豊かさが感じられる世の中になっているのだろうか。
どちらかというと、格差が進み、殺伐とした世相になってはいないだろうか。

20%が影響力を持つことは認めるが、それは、残りの80%の存在があるから
20%が目立っているのでは、と考えると、効率のみを求める姿勢は間違いなのではと思うのであります。
極端な例を挙げると、右手と左手を比べて、右利きの人は右手を80%使って、左手は20%しか使わないから、右手が2本あれば、左手は不要なんて、そんなこと思う人はいないと思うけど、そういうことではないでしょうか。たしかに利き腕はよく使いますけど、右手2本じゃ楽器が弾けない;;。
でも、近現代のいわゆる文明社会が求めてきたことってそういうことではないのかな?と思います。
競走でもそうですよね。10人で100メートル競走して、全員同時にゴールしたら、なんか競走にならないです。差がつくのが競走、なのですから。競走を否定するわけではないですが・・・

「みんな違ってみんないい」といったのは、金子みすゞですが、この近現代は、いったんみんな
同じ基準にして、競わせて、20%は「いい」と認められて、80%は「役立たず」とレッテルを貼るということが、当たり前のことになったわけです。重要な部分とそうでない部分があり、そうでない部分はどんどん切り捨てる、、、これが効率化。みんな当たり前だと思っている、
そう、私も含めて。
もうすこし、そういう「木を見て森を見ず」ではなく、効率という色眼鏡を外して、もっと全体を愛を持って見ることが重要なのではと思います。
効率・切り捨てという発想には愛がない。もちろん効率はこれからも必要ではありますが、そこに愛の視点が加わればもっと違った結果を生むのではないか、ということです。

それプラス、世間一般や、周りの人からの評価に振り回されずに、自分を大切にするということ。
自分を大切にするとは、具体的に~と、いうのはまたいろいろ考えますが、
でも、「自分を大切にする!」と、宣言することじゃないですかね。
宣言するだけで、何かいろいろと思いついてくるのではと思います。