20年前の今日

1月17日

私は大阪豊中市の自宅マンションで、
まだ、深い眠りの中にいた。

突然、もの凄い音と、これまで体験したことのない、
上下左右に振り回させるような激震に襲われ、
すぐには何が起ったのか理解出来なかった。

人は、不意打ちの恐怖には、
身動きすらできなくなると知った。


隣のリビングでは、棚が倒れる音、食器が割れる音。
それでも身体は、凍りついたように身動き出来ない。

・・・しばらくして、窓の外を見ると、空が真っ赤だった。
そのせいか、今も、朝焼けの空があまり好きではない。

テレビをつける。
地震速報と共に、
神戸の街の様子が映し出されてはじめている。
横倒しのビル、飴のように曲がった高速道路、ぺちゃんこの家、
そして広がる炎・・・

これは夢なのか、現実なのか?

気が動転しながらも、私は担当しているラジオ番組のため、
局に向かおうと外に出た。

しかし、電車は動いていない。
災害用公衆電話は長蛇の列。

途方に暮れて歩いている私に、
見ず知らずの人が声をかけて下さって、
行けるところまで車に乗せてもらった。

スタジオに到着した私は、
少しずつ明らかになる悲惨な状況を伝え続けながら、
暖かなスタジオで、犠牲者の数を伝えている自分に戸惑っていた。
今、こんなことを伝える意味があるのか?
多くの友人がいる被災地に行かなくていいのか・・・。

その被災地では、
伝え手はマイクを、カメラマンはカメラを捨てて救助に当たるか、
その状況や映像を伝え続けるのか、
みんな戸惑っていた・・・・。

番組スタッフの一人が倒壊した建物の下敷きになり亡くなった。

あの日、局に向かって歩いている私を車に乗せて下さった方は、
連絡のつかないお母様を探しに行くとおっしゃっていた。
一緒に探しに行くべきかどうか揺れていた私に、
その人は、

「あなたは、あなたのすべきことをして下さい!」
と、私を車から降ろしてくださった。

その言葉に励まされて、
私はあの日、マイクにむかっていた気がする。

あれから20年。
災害は繰り返され、
そして、いつまた、どこで、起こるかもしれない。

その時、私は、何ができるのだろう?
どんな準備が必要なのだろう?

もう一度、
あの日が教えてくれたことを振り返る1日としたい。

鎮魂の祈りとともに。


2015年1月17日
成田万寿美