3月11日、誰もが忘れもしない東日本大震災から4年が経ちました。


ちょうど、四年前の3月11日は後志支庁(倶知安)に行く途中の余市で地震に遭遇し、到着後の後志支庁で職員と一緒にテレビの報道を見ながら、現場の状況を見て声にならなかった記憶が蘇ります。


その後、岩手県・陸前高田市、釜石市、大槌町に支援活動の為に4回ほど入りました。


重機では取り除くことのできない瓦礫の撤去など現地の手伝いをしながら、震災の爪痕を目の当たりにし、人間の力ではどうにもならない自然のエネルギーを痛感させられました。






助かった人達からは、どれだけ日頃から震災に対して備えているかのという事を口々にお話されていました。日本のどこよりも地震に対して備えていた地域であっても、想定を上回る地震が起き、その被害に遭われた方が多く、無念な気持ちを強く感じました。

被害に遭われた方へ深くお悔やみ申し上げると共に、未だ不明の方が少しでも早く見つかりますようお祈りいたします。

震災への復興はまだまだ進んでおりません。住環境やインフラも当然のことながら、何よりも家族や地域のコミュニティがバラバラになってしまい、傍目には見えないところで苦しんでいる方がたくさんいらっしゃいます。





上の写真2枚は昨年の7月に視察をした福島県浪江町です。街は今でも立ち入り制限区域となっており、浪江町に住んでいた人達は未だに避難生活を余儀なくされ、仕事の関係から夫婦親子が別々に生活をしているという話も聞きます。

復興は家や道路や施設などのインフラが整うという事だけではなく、こういう人と人、家族、地域の繋がりの分断を戻すまでは終わったとは言えません。

どの地域にいても引き続き復興への支援をしていくと共に、改めて札幌において必要な防災・減災の施策を提言していきたいと思います。何よりも大事なのは備えと訓練。日々の生活の中で、どれだけ意識できるか、行政がそういう意識を持たせていくかです。