立皇嗣の礼 | 大人のための政治教室

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11月8日、秋篠宮文仁親王が、皇位継承順位1位の皇嗣であることを国内外に表明する立皇嗣の礼が執り行われました。
本来は4月に行われる予定でしたが、新型コロナウイルス感染拡大防止のため規模を縮小した上で11月に延期されました。

 

私は、祝辞の意も込めて、明治神宮まで行ってきました。


ではここで、皇嗣について振り返ってみましょう。

・皇嗣と皇太子の違い
皇嗣とは、皇位継承順位1位の皇族を指す言葉であり、皇太子とは、皇嗣たる皇子(天皇の息子)に使われる言葉です。つまり、次の天皇という意味の言葉です。天皇に皇子がいれば、長男が自動的に皇太子になりますが、今の天皇には皇子がいないため、弟の文仁親王が皇嗣になります。なお、皇嗣と皇太子が別の言葉として使われるようになったのは明治時代に旧皇室典範が作られてからであり、それ以前は天皇の息子に限らず、次の天皇のことを皇太子と呼んでいました。


・皇太子ではない皇嗣はいたのか
憲政以降、皇太子ではない皇嗣がいた例として、秩父宮雍仁親王があります。雍仁親王は大正天皇の第二皇子で、第一皇子である昭和天皇の即位から現在の上皇陛下である明仁親王誕生までの約7年間、皇嗣でした。しかし、このとき昭和天皇はまだ2,30代であり、皇子が生まれる可能性が高かったため、立皇嗣の礼は行われませんでした。

・そもそも憲政以降とは何か

憲政以降というのは、明治時代に大日本帝国憲法及び皇室典範ができて以降という意味です。

それ以前、皇位継承に関するルールは明文化されておらず、誰を皇位に就けるかは時の権力者である天皇や上皇、摂政、関白、将軍などによって決められました。天皇の長男が自動的に次の天皇になるわけではありません。事実、天皇の長男であっても天皇になれなかった人は何人もいます。

 

・憲政以前の立太子は

憲政以前の皇嗣は、ほとんどの場合、皇太子と呼ばれていました。皇嗣が天皇の皇子である場合はもちろん、天皇の弟や甥、いとこなどであっても皇太子と呼ばれました。そして、皇太子が決まった場合は立太子の礼を以って次期天皇と目されました。皇太子が決まらずに前の天皇が崩じた場合、時の権力者たちが皇族の中から決めていました。

 

 

立皇嗣の礼という名前の儀式は初めてですが、立皇嗣の礼と立太子の礼は同じ意味なのです。

この儀式が行われるということは、よほどの理由がない限りは次の天皇になるということです。

 

また、立皇嗣の礼の挙式に反対の声が度々聞かれます。

憲法7条に定められた天皇の国事行為に当たる行為であり、責任は内閣にあります。

また、皇族には国政に関与する権限はありません。

 

立皇嗣の礼の挙行も規模も予算も決めているのは内閣であり、天皇や皇族には決める権利はありません。

よって、反対だからと言って秋篠宮文仁親王らを批判することは筋違いであります。

決めているのは内閣ですから、批判する相手は内閣です。