10月某日、Mac音家

東京、某所


ごちゃごちゃとしたビル群から少し距離を置いた、閑静な住宅街の一角。

いわゆる『セレブ』たちの住む家の群れのなかに、やや目立つ程度にはしっかりとした構えの家がある。

ユニークかつモダンで無駄のない設計の一軒家で、プール付きの庭がある程度には大きい。芝生もよく手入れされていて、見ていて気持ちのよい外観となっている。


誰の家だろうと外壁に掛けられているりんごの形をした表札を見ると—そこには、デザイン性を感じられるレタリングで『Mac音』の文字が。


東京、Mac音家。


この話は、この家で起きた珍事件の物語—


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「ななな、ななななな……」

Mac音家、リビング

窓から溢れんばかりの光が降り注ぐ、白を基調としたデザインの居間。

スタイリッシュかつふかふかしているソファーに斬新だが機能性に優れている机と、家主のこだわりが見え隠れする家具が配置されている。

そろそろ午前が終わろうとしている、休日だ。例のごとく家主である父は出張のため、家族揃って出かけることができない。だからダイニングで朝食をとったあと、大抵少女たちはリビングで昼まで過ごす。

「ななな、ななななな……」

「ページワン!」

「なんだと!?」

現在、ソファー付近ではココと黒ココがトランプに興じている。(もっぱらページワンだ。黒ココにとっては瞬発力命のスピードの方がやりやすいのだが、ココがあまりにもとろいため勝負にならない。)

ソファーの上では朝食のフレンチトーストを食べ過ぎてしまったちびナナが寝ている。あまりにも静かに寝るため一瞬ひやりとするが、大抵杞憂に終わるのでいまでは気にしないことになっている。

そして、ソファーよりも北側に歩いたところにある、小さな棚の前—そこに、硬直したナナがいた。

「ななな、ななななな……」

余程ショックを受けたのか、五分ほど前からそこを動こうとしない。

彼女の瞳からは普段の快活さの代わりにどうしようもない不安が窺え、青ざめた肌からは『赤点をとった学生』が見える。

「はい、あがりー」

「くそっ。また負けた。なんでこんなに強いんだ……」

そんな妹を知らずに、呑気にトランプをする姉二人。
「ななな、ななななな……」

「んーとぉ、経験の差じゃない?」

「双子なのに……」

勝ち誇ったように、それでものんびりと言うココと、悔しさが隠しきれていない黒ココ。

そんな二人の空気を、轟音がつんざく


ぐぎゅるるるるる……


沈黙。黒ココは笑いを堪えるようにしてココを見つめると、盛大に腹を鳴らした片割れは肩を縮めながら

「……そろそろ、ごはんねー」

「……そう、だな」

言って、黒ココは時計を見た。現在時刻、午前11時45分。基本7時起床のMac音家だ、腹が減るのも無理はない。

黒ココは立ち上がり、何が食いたいとリビングにいる者たちに尋ねた。威勢のいい、「ミートスパゲッティ!」という声を無視し、寝ているちびナナも無視して—

奇妙な言語しか呟いていない、ナナを視界に納める。
「ナナ、あんたは何食べたい?」

「ななな、ななななな……」

目の前の少女、現在コミュニケーション能力0。

そう判断した黒ココは、ため息をつきながらナナの元へ向かった。肩を掴み、諭すような口調をとる。

「ナナ、ナナって。おまえがナナって名前なのはもう知ってるから。そうじゃなくて何が食い、た、い—」
そこまで喋って、黒ココは口を閉じた。

閉じざるをえなかった。

現在、彼女の妹の掌には—一体の、フィギュアが。

メカニックな造型が特徴的の、ロボットだかモビルスーツだかよくわからないがとにかくあるアニメのフィギュア。独特な塗りをしているのにも関わらずバランスがとれているという逸品で、こうしてみても職人の心意気が随所にちりばめられているのがわかる。

……問題点を、早く提示しよう。問題は、そのフィギュアの左腕にあった。

本来ならば稲妻に輝く剣を手にしてある筈である。しかし、今現在そのフィギュアには—剣どころか、左腕そのものが存在していた。
そして、黒ココはナナのもう片方の掌にその左腕がのっているのを確認し—

実の父の言葉を思い出した。

—私が子供の頃にやっていたアニメのフィギュアでね、これは主人公の『稲垣ハヤト ネオ・バトルモード』のものだ。いやぁ、稲妻を放出させるシーンに興奮したものだよ。そのアニメはとても人気でね、遂に製作会社が復刻版のDVDを出したほどなんだ。それで、このフィギュアはDVD予約先着30名にのみ販売された限定モノでね。フィギュア界では有名どころの会社さんの技師さんたちが集結してつくった、まさに『サンダー戦隊ゴロンジャー』の情熱の結晶さ。特に見てごらん、この稲妻の剣。私は特にここの描写が好きでね。どこがというと、ハヤトの生い立ちを語らないといけないかな。ハヤトは早くに御両親を亡くした不幸な子で—


この世には、アルセーヌ・ルパンもハリソン・フォードも手を出してはいけない、禁断の聖域がある。

それは—他人の—特に、男性の—『ロマン』


それを盛大にぶち壊した。
その事実を確認した姉妹は—

「ななな、ななななな……」

「ななな、ななななな……」


「なんじゃこりゃあああああああああああああああ!!」


ゆかいな!Mac音家!!


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「ナン・ジャコリャー?聞かないお料理ねぇ。インド料理かしら」

二人同時に叫んだあと、手持ちぶさたにトランプを繰っていたココが能天気な声をあげた。

そんな双子に業を煮やしたのか、黒ココは硬直からいち早く立ち直り、ココの胸ぐらを掴んだ。

「そんなアホみたいなこと言ってる場合じゃない!—こっち来い」

言われるがままに引っ張られたココも、そこで事態を知ることになる。

「これは……」

いつも笑みを絶やさないココも、今回ばかりは青ざめる。

「………………」

光が降り注いでいる筈のリビングが、追試会場なみのテンションに盛り下がる。
「……ナナちゃん?パパって—いつ帰るっけ?」

「……今日の、夜……」

「………………」

接着剤でガチガチに固めたような表情で、ガチガチな会話をする姉妹。

しかし、状況は変わらず。

………………


沈黙、矢のように肌に突き刺さり

「……ココ。私たちって確か、パスポート持ってたよな?」

「逃げたら駄目よ、クロちゃん。すぐ見つかっちゃうわ」

「いや、これは逃げざるをえないよ……。自分で言うのもなんだけど、見事すぎるもげっぷりで」

姉達の会話に、ナナが冷静に切り返す。

「……でも、仮に逃げたとしても—絶対捕まるぞ。そしたら……」

「パパの料理、おいしかったな……」

ここの世帯主は基本温厚で、忙しいにも関わらず家族サービスを欠かさない。父親の鑑のような人物だ。

そんな父は、たしなめはするが怒ったことはない。冷静な口調で叱ることもあるが、激昂するところなんて、誰もみたことがない。(一度、ちびナナがはずみで眼鏡を割ったことがあったが、その時も心の底から怒っている感じではなかった)

だからこそ、娘達は恐いのだ。—そんな優しい父が怒ったら。疲れて帰宅したところに、宝物にしていたフィギュアが壊れてしまっているのをみたら


普段大人しい人ほど、キレたら恐ろしいと聞く

「………………」

「………………」

逃げるのは駄目。素直に謝るにしても、許してくれるかどうかわからない

残る道は、一つしかなかった。

「……ナナ、アロンアルファ持ってこい」

黒ココは、なんとか絞り出した声でそう告げた。

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果たして、フィギュアの修復に一般的な接着剤が通用するのか?

調べたところででてくるのは専門用語だらけなので、そこは無視することにした。とにかく、いま急がれているのはは左腕をなんとかくっつけること。無駄なことは考えないようにする。(明らかに必要な事項であるが)

そう考えつつ、黒ココはナナの帰りを待っていたのだが—

「持ってきたよ!」

「よし、寄越せ!……?」
げんきよく放り出されたスティックを受けとるが、様子がおかしい。

まず、接着剤にしてはやたら小ぶりだ。細長いものが多いが、この接着剤は市販のものの三分の二程度の背丈がない。

それに、やたら可愛いデザインだ。青りんごがあちらこちらに描かれている。

さらに—これこそが、重要な点であるのだが—前述の通り、スティックなのである。チューブですらない。黒ココが知る限り、接着剤はチューブのものが主流のはずだが—

以上の点から、この接着剤はかなり怪しい。そしてなにより、かなりかしましい雰囲気を醸し出している。いや、かしましいというより、若い。—まるで、女子高生が持っているような—

ボキィ


「私のスティックのりー!!」

ついはずみで接着剤ことのりを折ってしまった黒ココに、批難するような視線を投げるナナ。

そんな彼女に、黒ココは精一杯穏便に(それでも怖い)語りかける。

「……いいか、ナナ。これは遊びじゃあないんだ。事件だ。—何故、アロンアルファを持ってこない?」

ナナ、申し訳なさそうな瞳で

「……だって、なかったんだもん」

「なんでだよ。探せばあるはずなのに」

怪訝そうな口調でそう言う黒ココに対し、白い方のココがやや気まずそうに口を開く。

「……ごめんなさい。私が使っちゃったの……」

「……何に?」

「えっと……お料理に……」

「料理ぃ!?」

「そういやお姉ちゃん、前に殺人的な臭いのするロールキャベツつくってたっけ……」

だって、キャベツがうまく巻けなかったのだもの……と気まずそうに言うココを尻目に、残る二人で対策を考える。