なんだかいろいろきな臭いが、人体実験をしようが生首保管しようが矢霧製薬は一応薬の開発、販売を手掛ける企業だった。ちゃんと人様のための良薬も開発している。

波江が誤って服用した薬もその一つで、ちゃんと調整して国の許可が下りれば奇跡の薬として法外な値段で売り捌けるはずだった。(こういう胡散臭いところが、いかにも矢霧製薬らしい)

しかし奇跡は奇跡。起こらなければ幻だ。無論その調整が滅法難しく、ついに開発チームはその薬の一般化を見送った。薬は倉庫にしまわれ、時期が来ればうまいこと処分されるはずだった。

それがネブラの矢霧製薬買収が決定してから雲行きが怪しくなってしまった。ネブラはアメリカの大手複合企業で、薬関係においてもかなりの力を有しているとされる。しかもその研究と開発を担うチームには—不老不死の研究者がいるとの噂だ。そんな不思議SFトンデモ集団に隠している劇薬のことが見付かればやばい。奴らは絶対にそれを商品化してみせる。波江のプライドは、それを許さなかった。

とまあ、今回の騒動にはこんな背景が潜んでいたわけだが—いまの波江にとっては、全てがどうでもよかった。

—本当に、小さくなってしまうなんて—

服用した薬は、細胞一つ一つを若返らせ臓器の活動を活発化させるものだ。(医療の知識がないのでこれ以上のことは書けない)しかし調整前で得られる効果が過大なため、結果として退化した。こういった具合である。

波江は溜め息をついて、臨也のジャケットのファーを触った。やけに、肌触りがいいので、気に入っている。

現在の彼女は小学生くらいの外見で、『大きく』なってしまった自分の服に着られてるといった風だ。ジャケットは、彼女の状態をみた臨也が放ったものである。まだ少し体温が残っている。いま、この上着の主はここにはいない。幼児化した波江の服を買いに出掛けているのだ。

まず彼は、波江の姿をみて目を丸くした。そしてだんだん耳から顔が赤くなっていったかと思うと—やや乱暴に己のジャケットを波江に放り、少し上擦った声で服を買いに行ってくると告げた。

—あんな奴でも赤面するのね。

その時の臨也を思い出すと、少し可笑しい。まあ子供といえどそのときは肩どころか胸まで丸出しだったから赤面する可能性も考えられるが、奴がここまでウブだったとは。

実際のところ臨也は女性関係に関してはかなり悪どい。よく波江を口説いてはいるが、それも恐らく本心ではないだろう。少なくとも波江はそう考えていた。

しかし、彼女はここでまた誤算した。臨也が波江を愛しているのは本当のことだし—先程の赤面は、彼をさらに間違った方面に目覚めさせた合図だったのだ。

ーーーーーーー
ガチャリ

扉が開く音がした。かと思うと臨也は目の前まで来ていた。やけに真面目な顔をしている。

「服、買ってきてくれたの?」

少したじろきながら訊くと
「………」

無言のまま、やけにでかい紙袋を渡される。見ると、なかにはさらに色んな店の袋が入っている。別々の店でいろいろ買い、いっしょくたに紙袋に入れたらしい。

「こんなにたくさん?まあ、いつ戻れるかわからないから着替えは多いほうがいいんでしょうけど…」

戸惑いながら顔を上げると
「……今日のあいつ、いつも以上に変ね…」

臨也はもういなかった。耳を澄ますと、別の部屋から彼の話し声が聞こえてくる。声が一つだから、おそらく携帯だろう。とにもかくにも、着替えてみなければ始まらない。そう考え、紙袋のなかの服を取り出したのだが—

が—



—?

——!!

ーーーーーーー
「でさあ、この次はどうすればいいの?君の取り巻きの—遊馬崎くんのおかげで服はなんとかなったけど。いやいや、俺の妹はかなり変だったからあてにならな—頼むよドタチン。俺に新しい妹ができたって言ってまともに取り合ってくれたの、君しかいないんだからさあ…って、波江?」

腰のあたりからする気配に気付き、慌てて通話をやめる臨也。

そして最愛の秘書の姿を認め—

まず携帯の機能でパシャリ。

「…なに、やってるの?」
「やばい。これ待ち受けにしよう。いやあ、想像以上じゃないか。可愛いどころじゃない。あれだ、萌え死ぬ」

興奮した面持ちでまくしたてる臨也に若干引きつつも、とりあえず波江は相手の脛を思いっきり蹴った。

「—っ!地味に痛い。けど嬉しい。攻撃をしかけてきたらわざと当たったほうがいいとのことで当たってみたが、存外たまらないぞ、これ。いやしかし俺はマゾじゃ—」

「あんたの変態発言はどうでもいいの。—なんで、あんなふざけた服買ってきたわけ?」

いま波江が着ている服は子供用のワンピース。ストライプが効いている、上品なものだ。合わせに用意されていたニーソックも、一応履いている。—それはそれでいいとして。

「はっはっは。まさかあれらを着てもらおうだなんて思ってもみないさ。ドタチンの子分であるキツネ目君に見繕ってもらったんだけどね?彼はなかなかいいセンスをしている。特にあのスクール水着と猫耳の組み合わせなんて想像して鼻血吹きそうになったよ。その前に不審者がいるってんで職質かけられたんだけど」
「そんな冗談やってる暇あったら、とっとと元に戻れる方法探しなさいよ」

腰に手を当て、しかめっ面で相手を見上げて命令する波江。

それを見た臨也は—

パシャリ。

「……は?」

「ピクチャ貼り付け、メール受信画面っと。いやあ、可愛い。なんだかんだいって俺チョイスの服着てるのも可愛い。これであとチョイスしたカチューシャとランドセルつけてお兄ちゃんと呼んでくれれば完璧だ。なにかが俺のなかで壊れる」

もうこいつだめだ。

波江は再び溜め息をつくと、とりあえず仕事場へと戻った。私用にあてがわれた書棚から医学書など薬に関する資料を捜し、解毒作用のあるものはないか調べるためだ。

とてとてと書棚の前に行く。

存外書棚は大きかった。

背伸びをする。

届かない。

さらに背伸びをする。

届くはずもない。

………

「どれ、お兄ちゃんがとってあげよう。なんなら肩車してあげてもいいよ」

「……上から二段目から全部。あとこの椅子、高くて登れない」

変態に頼らなければいけない自分が不甲斐なくて仕方がなかった。