西川一三著の『秘境西域ハ年の潜行』を元に、


著者を盛岡まで月一ぐらいの訪問で語り合った


一年の録音テープと、生原稿をもとに


掘り下げて行く。


満鉄(南満州鉄道)に就職


入社して5年後の1941年に退職


1939年、内蒙古に設立された興亜義塾に


第3期生として入学した。


興亜義塾は、のちにスパイの養成学校


だったとするような見解が流布されるが、


実態はまるでちがっていた。


興亜義塾をいろいろな問題がありながら、


卒業して、中国西北部の地域を目指すのは、


西川にとって、抑え難い願望であった。


西北に向かうには、日本の勢力圏にある


内蒙古の陝西省と中華民国政府が


支配する寧夏省との省境にある「国境」を


突破するために、巡礼者に扮する。


有名なゴビ砂漠を行く。







ラマ僧と同行して定遠営までの、過酷な


旅にでる。


定遠営から高廟鎮に移動して、それからタール寺


最終的には、チベットのラサ行きを


決心した。


鎖国状態のチベットに足を踏み入れた


日本人は、河口慧海・寺本婉雅・成田安輝


矢島保治郎・青木文教・多田等観・野元甚蔵


チベットは、東を中国に、西をインド、ネパール


ブータンなどに囲まれている海を持たない


内陸国である。




内蒙古を出発して足掛け三年、ラサまで


四つの旅を重ねてきた。


①内蒙古のトクミン廟から寧夏省のバロン廟


②バロン廟から青島省のタール寺


③タール寺からツァイダム盆地のシャンまで


④シャンからラサまで


ラサ三大寺院のひとつ①デプン寺




②甘丹寺



③セラ寺



ラサからシガツェ(ラサに次ぐチベット第二の都市)



インド カリンポン




仏教四大聖地


①ルンビニ 仏陀が生まれた場所


②ブッダガヤ 仏陀が悟りをひらいた場所


③サルナート 仏陀がはじめて説法した場所


④クシナガラ 仏陀が亡くなった場所


チベット→インド→ネパール


ついに日本へ出国


主人公の西川一三という人物が、


魅力的に書かれていて、引き込まれて


いきました。