「小右記」(しょうゆうき。「おうき」とも)と聞いて、平安時代の日記だな、と思い出した人は日本史が得意な人でしょう。

さらに、藤原実資(ふじわらのさねすけ)

藤原実資

の日記だな、と思い出した人は、かなり日本史の成績が良かった人と思います。

平安時代、御堂関白藤原道長

藤原道長

と同世代の公卿藤原実資は小野宮右大臣とも呼ばれ、小野宮右大臣の家記(日記)ということで、実資の日記を「小右記」といいます。

当時の日記は、現在と同じく日々の出来事を記録しているのですが、子孫に宮中等での儀式である「有職故実」を伝えることにも意義がありました。

事実、小右記を見ると、長和5年(1016年)2月19日の、伊勢斎王を卜定(ぼくじょう・吉凶を占い定めること)する宮中儀式で、右大臣藤原顕光(ふじわらのあきみつ)が、上卿として儀式を主導したのですが先例に違背したことが書かれています。

このことは、道長の御堂関白記にも記されていることですが、実資のえらいところは、当日、宮中に参内せずに伝聞に基づいてこの顕光の失態を記録し、そして先例と異なるところはここである、と指弾しているところです。

ここら辺は、有職故実に通じた一流の学識人であった実資の面目躍如たるところがありあます。

因みに、道長の「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることの なしと思えば」も、実資が小右記に記録していることから後世に伝わりました。

この小右記に語呂を併せたのか、諸田玲子の王朝小遊記。

王朝小遊記

平安時代を題材にしたものには珍しく、複数の一般庶民を主人公にしています。

主人公等が、小野宮右大臣実資の知遇を得て、都を震撼させた鬼退治をするというミステリー仕立てのストーリーです。
7つの短編が並んでいるのですが、その全ての話がつながっています。

ひょっとしたら、平安時代を題材にした小説のNouvelle vague(新しい波)かも?

藤原実資と藤原道長の画像はネットから取得しました。