3月12日のブログの続きです。
そちらもご高覧賜れば幸甚です。

東北の寒村で、決して裕福な家庭ではありませんでしたが、父母ともに書籍代だけは自由にさせてくれましたので、興味を抱いた書籍は自由に読めたと思います。
父母に感謝です。

そんな中、小学校の頃読んだ、「物語日本の歴史」(多分こういう書名でした。集英社の「漫画日本の歴史」を文章化したものだったと記憶しています)の中の日露戦争の頃の話。

強大なロシア相手に勝てるかどうか、誰もが自信がありませんでした。

そんな中、連合艦隊司令長官を拝命した東郷平八郎

東郷平八郎

が宮中に招かれ、明治天皇

明治天皇

から直に問われます。
・・・
「勝てるか、東郷」

これに対して、東郷はこう答えます。

「必ずや敵国艦隊を撃滅して、宸襟を安んじ奉ります」
(記憶がだいぶあやふやですが、こんな感じでした)

この時、天皇の隣にいた皇太子(後の大正天皇)

大正天皇

が、「東郷、これを遣わす」と、後鳥羽上皇由来で福岡一文字派の刀匠吉房の手による「一文字吉房」(いちもんじよしふさ)

一文字吉房

の太刀を東郷に下賜されました(現在この刀は重要文化財に指定され、東京渋谷の東郷神社にあります)。

・・・・・
後鳥羽上皇

後鳥羽天皇像

は水無瀬離宮に全国の名刀匠を集められ御番鍛冶として作刀を命じられました。
御番鍛冶には「一の字」が許されたため、「一文字吉房」と称されます。

さらに、一文字派の刀には後鳥羽上皇が定めた皇位の紋である「十六葉八重表菊」

十六葉八重表菊

の紋を彫ったので、「菊一文字」とも言われることがあります。
(ここら辺の刀剣のことについては、Wikipediaを参照しました)


と、大分長い前ふりでしたが、先日のブログのとおり桜井駅跡を尋ねた後に、後鳥羽上皇ゆかりの水無瀬離宮跡にある水無瀬神宮に行って参りました。

画像は全てネットから取得しました。

白熱皇国史観講義その4に続く