▶成田家の陣痛から出産 その③ ←今ココ

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『二人最後の散歩デートしよう』
 
 
家内は快諾し、同じフロアであるものの院内を散歩。
 
途中、何度か陣痛の激痛を共に乗り越え、約20分の散歩デートを終わらせた。
 
その直後、家内に著しい変化が起こりすぐ様、医師による診察が行われる。
 
「胎児が降りてきて、産道がしっかりと開いてるね。」
 
その間、家内は「もう出るー!イキましてー!」と喚いていた。
 
病院の方針ということもあり、家内は自分の足で陣痛室を後にし、分娩室へ移動。
 
分娩中の立会いは出来ないということで、私は荷物を持ってエレベーターホールにある簡易的な待合室へ。
 
するとそこには、数時間前に陣痛室から分娩室へと行かれた妊産婦のご家族が。
 
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私が一人でソワソワしながら待っていると、老夫婦の旦那さんが声をかけてきた。
 
「お宅もですか?ウチは初孫なんです」
 
会話を続けるべきか否か…
人付き合いが上手くない私にとっては、とてもハードルの高い質問である。
 
テンパった私はすかさず
 
『そうなんですか!ウチもなんです』
 
…孫ではない。
 
その結論に至るまで、自分の発言からわずか0.01秒。 
 
その奥で緊張していた旦那さんが笑ってくれていたので、結果オーライですね。
 
その様な談笑を続ける事、およそ一時間半。
 
「成田さーん!生まれましたよ!
元気な男の子です!」
 
駆け足の看護師が急いで伝えに来てくれた。
 
時間は日を跨いで0時28分。
 
予定日が4月20日だった為、一日遅れてしまったようだ。
 
『看護師さん、ところでいつ産まれたのですか?』
 
「成田さんは23時35分です」
 
…約一時間、何してたんだよ…
 
(おそらく先程のご家族の妊産婦が私の家内が分娩室に入る三時間程前に分娩室に入っていた為、そのご家族に変な不安を与えない為だったんだと思います)
 
そして、いざ初めて自分の息子と初対面。
 
そこには家内が分娩台の上で我が子を抱きかかえており、その姿は正に聖母マリアを彷彿させる神々しさがあって、私は心の内側にあった色々な感情が一筋の涙として溢れ出た。
 
外の空気に初めて触れた我が子からは、とても繊細で脆さの中に力強さがあり、柔らかい肌の内側からは熱い生命の鼓動を感じる。
 
33年前は自分が同じ様な感じだったのかと思うと感慨深い。
 
家内には感謝しかない。
 
初めて息子が私の指を握って涙、初めて息子を両の腕で抱いて涙。
 
この感動をいつまでも忘れずに、息子そして家内と一緒に歩んでいこうと思う。
 
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ここまでが陣痛から出産までのストーリーになります。
 
この後、夜中の2時半にも関わらず病院を追い出されて、帰路を一時間ほど歩いて帰った話はまたの機会に←
 
最後まで読んで頂きありがとうございました。
 
これからは家族3人力を合わせて、我が子とともに成長していきたいと思います!