昨日は
子ども①の部屋と
子ども③の部屋を

交換するため

家の中で引っ越しをしました。

(模様替えっていうのかな?)



子ども③は
数日前から
荷物をまとめ
要らないものは捨て
用意してました。



子ども①は
忙しいとか
暇がないとか言って
何の準備もしていませんでした。






いざ当日…

子ども③の荷物を運んだり
家具の配置替えをしたりは
他の家族も手伝ってくれましたが


子ども①の荷物を運ぶのは
私1人。



結局、
「やってくれていいよ」と、
子ども①は荷物をまとめることも
運ぶことも一切せず。
出掛けて行ってしまいました。





他の家族は、

「子ども①は普段何もしてくれないから
手伝いたくない」

「本人が何もしないのに、
どうして自分達が
荷物を運んであげなきゃならないの?」

という、言い分です。






(それで、私が子ども①の荷物を
元子ども③の部屋に
全部運んだのですが
疲れすぎたのか
夜、体調を崩し、寝てました…)











子ども①には
赤ちゃんの頃、
随分手をかけました。


でも、成長してくると
物分かりが良かったので
「自分でやってごらん」
「1人でやってごらん」と言って


自分でやることを勧めました。
たいてい、子ども①は
すぐにできました。






1人でできるようにすること





それが子どもを育てるってこと





そう、意識してたわけではありませんが
確実に私はそういう子育てを
子ども①にしてきました。




私が母親にされたように
同じように子どもを育てていた
ということです。




その結果
「私はお母さんに何もしてもらってない」





私が母親に思っていたことと
同じことを
子ども①が言うように
なりました。




何もしてないわけではありません。
もちろん。



私の母も
私に何もしてくれなかったわけでは
ありません、実際。






でも、
重要なのは
「本人が十分に母親に手と心を
かけてもらったと思っているかどうか」

という、本人の感覚なんです。




私の母親は
子育てが下手で



私が我慢して長女をしていることに
何でも頑張って言われた通りに
自分でやろうとしていたことに
全く手も心もかけられませんでした。



私も子育てが下手で
できるから、と1人でやらせました。
手のかけ方、心のかけ方が
わからなかったのだと思います。



子ども①は
幼いとき、
1人でできても
本当はまだやって欲しいと
思ってたのかもしれません。



十分に手をかけてもらってない
と、感じている


から、


子ども①は
大きくなってから
1人でできることも、
自分でやりたくない
意地でもやらない
何もしたくない

(だから誰か代わりにやって)


という子になりました。



だから、
今回の部屋の交換も

意地でも自分でやりたくなかった
のでしょう。








これ、
自分(親)の心が満たされてないと
(非ダイヤモンドだと)


子どもに手をかけたり
心をかけたり
できないんだと思います。


だって、自分が
手をかけて欲しい
心をかけて欲しいんですもの。







今自分が、
手伝ってもらってもいい
1人で頑張らなくていい
我慢しなくていい
できなくてもいい

そんな存在になった
(と思っている)ので


今度は
子ども①の育て直しをする時が
きたのだと思ってます…
(だいぶ子どもは大きいのですが…)







この記事 も参考に考えました






りんご🍎

ナリ心理学認定心理アドバイザー養成講座6期卒


非ダイヤモンドで再就職した仕事が辛いとき、

古本屋さんでナリくんの著書「あなた何様?」

を発見。ナリ心理学と出会う。

近所の桜が散り始めた。