困っている人がいたのに

私は、

知識と
技術がないために

役に立つことができなかった。



知識があれば
その人に安心してもらうことができたのに

技術があれば
手を施して改善の方向に導けたのに


でも私には

その知識と
技術がなかった。



「役に立てなかった...。」



心に引っ掛かりを感じた。





できない自分を責めるのは
違うってわかってた。
自分を責めて、落ち込むことに
何の意味もなさないと
これまで学んできた。



できない自分=機能価値が低い
それは、その通り。
でも、機能価値が低いのは、
存在価値がないということではない。


できないことが多い自分に
今まで散々
「できなくていい」と
できない自分を認めてきた。
できない自分の存在価値を。



できない自分を責めるのは
違う。



役に立てなくても
いいわけだ。



でもなぜ
引っ掛かるのか...。
それは...






「役に立つ自分でいたかった」





役に立たない自分でもいいのに。
やっぱり役に立つ自分でいたかったのだ。




いや、でも
こう考えたらどうだろう?



直接役に立てなかったけど
私が知っている中の知識で
「こんなところに相談してはどうだろう?」
と、相談先を提示した。



その人は
私の示した相談先を利用することは
選択しなかったけど



その人が利用しやすいところに
連絡してみることを選んだ。




提示しても、選ぶのはその人本人。
私の介入できることではない。




私は役には立てなかったけど
私ができる範囲の知識で
提案できたし。



その人が次の行動を決める
きっかけを作ったとも言えるではないか。


今の私で、できることをやったじゃないか!

ふむふむ。




そう思ったら、
次はもう少しやれることを増やしたい
勉強したい



なんか、勉強したいな~
知識増やしたいな~
と、ふっと思ったのでした。




人って、「勉強しなきゃ、勉強するべき」
と思った時点で勉強したくないからね。









今年のお雛様も、あっという間に過ぎました。







お読みいただきありがとうございました。