ほんわか♪にこにこブログ ・・・のんびり育児&お仕事編 -36ページ目

ほんわか♪にこにこブログ ・・・のんびり育児&お仕事編

だいすきなダンナさまや家族のこと、お仕事、友だち、そして不妊治療で授かった大事なお腹の赤ちゃんのこと・・・いろいろある毎日だけど、いつも「ほんわか♪にこにこ」暮らしたいな♪

みなさん、明けましておめでとうございます!

年が明けてからしばらくお休みしておりましたが、今日からまたブログを始めたいと思います♪

昨年は、ちびちゃんたちのことや日々の何気ないできごとにお付き合いいただき、みなさまには感謝感謝の年でした。
今年はぜひとも私の方からもみなさまにあたたかい気持ちをお届けできる年にしたいなーと思っております。

本年もどうぞよろしくお願いいたします♪

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さてさて、みなさんはどのような年末年始を過ごされましたか?

私はいつもどおり、結婚して以来変わらずのお休みを過ごしました♪
年末はぎりぎりになるまでダラダラとお掃除をし、最後の最後にダンナさまと猛ダッシュでなんとかお正月を迎えられる状態にして、年賀状も大晦日にやっと取りかかるという…何年やっても進歩のない年末でしたわ…

ここ一、二年で変わったことと言えば、私が忙しさに焦ったりイライラしなくなったこと。
できるだけがんばってあとはまたゆっくりやりましょー、と心のゆとりを優先するようになりました。
これは、果たしていいことなのかしら…?でも、ダンナさまがそれでいいと思ってくれているのでよしとしましょう!

大晦日、いつもと違うことがひとつ。今のお家に来てから8年、はじめて近所の神社のだるま市に行ってきました。
大晦日の夜にお出かけするなんて(と言っても、歩いて10分のところですが・・・)久しぶり~ちょっとウキウキしちゃいました♪
本当に小さな小さな神社で、地元の氏子の方々が和気あいあいとだるまさんを売っておられました。
私たちはお参りをして、たき火の炎にあたらせてもらっただけで帰りましたが、夜なのにそこだけがぼんやり明るくて、たき火があたたかくて、舞い上がる火の粉がぱちぱちと音を立てて・・・一年が終わっていくのをしばしダンナさまと静かに感じることができました。

その後お家に戻り、除夜の鐘を聞いて「明けましておめでとうございます!」のご挨拶をダンナさまと交わしたあと就寝。

翌日は新年のおせち料理で朝ごはん。これも毎年変わらぬ風景です♪

我が家のおせちはこんなかんじ↓
ほんわか♪にこにこブログ ・・・のんびり赤ちゃんを待ちたいなぁ・・・

おせちは黒豆、田作り、なます、お雑煮は手作りです♪
お重箱の中以外に、ひとりひとりのお皿に黒豆、田作り、数の子を盛り付けるのが我が家のスタイル。
お雑煮は白味噌仕立てのお汁ににんじん、大根などの野菜と丸餅が入っていて、いただくときにゆずの皮と鰹節を入れます。

こちらのメニューはすべて関西出身の私の両親からのもの。
ダンナさまのご両親は二人とも東北出身なので、まったく違うおせちだと思うのですが、ダンナさまが特に何も言わず、毎年おいしく食べてくれているのでずーっとうちはこのスタイルです♪

本当はうちの実家では、お食事を始める前にお酒を家長から順番に飲み、それぞれ新年の挨拶をするという儀式(?)があるのですが、お酒を飲んじゃうとそのあと車で出かけられなくなっちゃうので、我が家ではそれは省略。そして、締めくくりに焼き梅干をお茶に入れて飲むというのもあるのですが、こちらは梅干好きの私だけが飲んでいます。


お正月のお料理やしきたりって、各家庭でそれぞれ違いますよね~
大学で、地方や国によっての文化や習慣の違いなどを勉強する「文化人類学」といういまだによくわからない学問を専攻していたもので、私にとってはとっても興味深いお題です。
これからみなさんのブログにお邪魔しつつ、お正月の過ごし方やおせちなどの特徴などを研究させていただこうと思います!

さて、翌2日には、初詣&実家回りをしてきましたが、記事が長くなってしまったので、本日はここまでで・・・
今年もマイペースな私のブログですが、どうぞよろしくお願いします♪

今年中に書き上げたいと思い綴ってきた「お空のちびちゃんたちのこと」、年末ぎりぎり、滑り込みでようやく仕上げることができました。


私にとって、人生最大のターニングポイントのひとつとなった、2007年2月の子宮外妊娠と6月の流産。

なくしてしまった2人の「ちびちゃんたち」のことを、私なりに形に残したくて、心の整理をつけたくて、2008年10月よりブログという形で書き始めました。

内容が内容なだけに、いやな思いをされる方がいるのではないかと、また、自分の勝手な思い出話をブログで公開することの意義もあやふやなまま、迷いながらのスタートでした。


書いているうちに辛かったときの記憶がよみがえり、手がとまってしまうこともありました。

逆におかしなくらいに冷静に、筋道をたてて書き進んでいる自分もいました。


そんな私のお話をたくさんの方が読んでくださり、いっしょに悲しんでくださり、共感してくださり、あたたかい言葉をかけてくださいました。


私は「お空のちびちゃんたちのこと」を通してみなさんと交流することで、いかに自分が弱虫で甘ったれだったか気づきました。

そして、みなさんは、ともすれば人に対して頑なになりがちだった私に人の優しさを教えてくれました。

みなさんの優しさで、私の中にも穏やかなあたたかい気持ちが広がっていくのを感じました。


みなさんがいてくださったから、書き続けることができました。

みなさんのあたたかい言葉があったから、自分の気持ちを見つめなおすことができました。

そして、少しはちびちゃん孝行になったかな・・・?

みなさんのおかげです。本当にありがとう。

感謝の気持ちでいっぱいです。



前回の記事で書いたように、転院した不妊治療専門病院で卵管に問題が見つかり、2009年の1月末に手術を受けることになっています。


ちびちゃんたちのことは絶対に忘れたくないけれど、このお話を書き上げたことを区切りに、来年からは、ダンナさまと私の赤ちゃんに出会える日に少しずつでも近づけるよう前を向いて進んで行きたいと思っています。



もうすぐ新しい年ですね。

赤ちゃんを待っているみなさん、今お腹に小さな命を宿しているみなさん、子育てをがんばっているみなさん・・・すべての方に大きな幸せが訪れますように・・・


お一人お一人にごあいさつに伺えずごめんなさい。それからペタをくださったみなさん、お礼とお返しが間に合わずごめんなさい・・・来年あらためてゆっくり伺わせてもらえれば、と思います。


来年もどうぞよろしくお願いします♪


たくさんの感謝と愛を込めて・・・にーこより☆



P.S.

ダンナさまと私のところに来てくれた2人のちびちゃんたち。

ダンナさまはどう思っているか聞いたことはないけれど、私にとっては大事な大事なちびちゃんたち。


ちびちゃんたちは私たちに命を授かることの尊さを教えてくれました。

ちびちゃんたちは私にいとおしい者の存在を教えてくれました。

そして、ちびちゃんたちは私たち夫婦の絆を強く強くしてくれました。


ありがとう、はねちゃん。ありがとう、ふくちゃん。


もう仕方のないことだけれど、一生懸命育とうとしていたちびちゃんたちに何かできることはなかったのかな・・・と、今でもときどき考えます。


会いたかったなぁ・・・本当に会いたかった。

短い間だったけれど、私にお母さんの気分を味あわせてくれて、私たちにたくさんのことを学ばせてくれて、ありがとう。

本当にありがとう。


いつか私たちのところに赤ちゃんが来てくれたときには、はねちゃんとふくちゃんもいっしょに抱きしめるから・・・そのときまで待っていてね。





2007年2月21日に最初のちびちゃんと子宮外妊娠で、6月13日に2番目のちびちゃんとごく初期の流産でバイバイしました。

「お空のちびちゃんたちのこと」のテーマでは、子宮外妊娠のことや流産のことなど、このブログを始めるに経験したことを、日々のブログのかたわら、少しずつ書いていきたいと思います。


※子宮外妊娠、流産、手術などの記述があります。読まれたくないかたはスルーしていただければと思います。

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流産をしたあと、念のため2周期お休みをして、私は再び同じ職場近くの産婦人科に通いはじめました。


ここに通い続けたのにはいくつか理由がありました。


まず、職場からも自宅からも近く通いやすいこと。

残念な結果にはなりましたが、過去2回お世話になり先生たちを信頼していたから、ということ。

また、子宮外妊娠、流産とはいえ妊娠には違いないのだから、このままタイミング指導で自然妊娠は可能だと思う、と先生がおっしゃってくれたこと。

そして、何よりも私自身が、悲しい思い出ばかりのこの病院で、ほかの妊婦さんみたいに赤ちゃんを授かって出産して、幸せな思い出を作るんだ、という意地のようなものを感じていたからでした。


生理の1週間後に病院へ行って、排卵検査薬で検査して内診をしてタイミングをとる。こんな治療が続きました。

私は子宮外妊娠で右卵管を切除しているため、左卵管しかありません。

そのため普通の人よりは妊娠するまでに時間がかかるかもしれない、と先生から言われていたので、すぐに妊娠できなくても、最初のうちは大して落ち込むことはありませんでした。



しかし、数ヶ月がたつうちに、徐々に不安や焦りを感じるようになりました。

そんな不安に輪をかけるように、周りでは妊娠・出産が続きました。町を歩いていても、大きなお腹をした妊婦さんやかわいい赤ちゃんを連れて幸せそうに買い物をする若いカップルばかりが目に入るようになりました。

病院に行けば、待合室にいるのは私以外はみんな妊婦さん・・・心が苦しくなっていくのがわかりました。


そのころから私は、お空に行ってしまったちびちゃんたちのことばかりを考えるようになっていました。


もし、ちびちゃんたちを産むことができていたなら・・・あのとき安静にしていたなら・・・もっとちびちゃんたちのことを信じてあげてたら・・・もっと早く病院に通っていたなら・・・


妊婦さんを目にするのが辛く、赤ちゃんを見るだけで涙が出てきて、できることならずっと家にこもっていたいような日々が続きました。

自分とほかの人を比較して、どうして私だけ・・・という思いだけが膨れ上がっていきました。

そして、ほかの人の幸せを喜べない、そんな心の狭い自分が情けなくて、さらに気持ちが追い込まれていきました。


先生に、卵管造影をするべきではないか、何か妊娠できないような問題があるのではないか・・・との質問は何度となく聞いてみましたが、過去に妊娠しているのだからまたできるはず、とおっしゃるだけでした。

ダンナさまも私も先生の言葉を信じ、妊娠しないのは卵管が片方しかないから時間がかかっているだけ、気持ちが過敏になってストレスがたまっているから・・・と思っていました。いえ、思うようにしていました。

卵管を一つ失い、せっかく授かった赤ちゃんを守ることができず、ここでまた自分に何か問題があることがわかったら、耐えられるかどうか自信がなかったのです。

しかし、このままタイミングを取って自然妊娠を待ちたい気持ちの反面、いったいいつまで待てば赤ちゃんを授かれるのだろうかと、まったく先の見えない状況にますます心は疲弊していきました。



一向に妊娠することなく1年が過ぎようとしていました。

私の心の疲れももそろそろ限界でした。


そんなぎりぎりの精神状態でなんとか過ごしていた私ですが、5月の生理が終わって1週間が過ぎたころ、朝起きて、そろそろタイミングを見てもらいに病院に行かなきゃ・・・と思った瞬間、もう行くのはやめよう、と急に心を決めました。

妊婦さんの中に一人っきりでも、絶対にここで赤ちゃんを・・・とがんばって通っていた産婦人科病院にその日以来ぱったりと行くのをやめてしまいました。


流産をしてから約1年、子宮外妊娠から考えると1年半。

いつまでも同じところにいてはダメだ、次に進まなくては、自分から動き出さなくては・・・このままでは赤ちゃんにも出会えず、精神的にも辛くなっていくばかりだ、という気持ちになっていました。


その日の夜、ダンナさまに、今行っている産婦人科病院に行くのをやめたことを、そして、もっと不妊治療に力を入れている病院に転院したいということを伝えました。

自分から前進することを決めて、少し元気になった私を見てダンナさまも喜んでくれました。



そして、見つけた病院が今通院している不妊治療専門の病院です。

この病院では、通院を開始する前に夫婦でガイダンスに参加することが決まりです。

ガイダンスまでかなり待つこともあるようですが、運よく2週間後の日曜日のガイダンスの予約が取れました。


先生のお話はとてもわかりやすくときにおもしろく、でも、妊娠にいたるための現実の厳しさはっきりとおっしゃっておられました。

先生は、不妊治療に対する知識、実績は日本でも屈指であることはもちろんですが、やわらかい物腰ではあっても、はっきりと物事をおっしゃる方です。

そして、不妊治療のために、いったいいつ休んでおられるのか、と思うくらい熱心に取り組んでいらっしゃいます。

そんな先生の姿を見て、私は自分自身が前向きにがんばってみたい気持ちになっていくのを感じました。


そして、この病院にお世話になることを決め、一からすべて検査をした結果、問題ないとされていた左卵管がほとんど機能していないことがわかりました。

通院を始めて2ヶ月後のことでした。