退院~2007年2月⑥ | ほんわか♪にこにこブログ ・・・のんびり育児&お仕事編

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だいすきなダンナさまや家族のこと、お仕事、友だち、そして不妊治療で授かった大事なお腹の赤ちゃんのこと・・・いろいろある毎日だけど、いつも「ほんわか♪にこにこ」暮らしたいな♪

2007年2月21日に最初のちびちゃんと子宮外妊娠で、6月13日に2番目のちびちゃんとごく初期の流産でバイバイしました。

「お空のちびちゃんたちのこと」のテーマでは、子宮外妊娠のことや流産のことなど、このブログを始めるに経験したことを、日々のブログのかたわら、少しずつ書いていきたいと思います。


※子宮外妊娠、流産、手術などの記述があります。読まれたくないかたはスルーしていただければと思います。

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入院生活は、朝の検温、採血から始まります。
その後は、洗面、テレビを見ながら身なりを整え、時間をつぶし、朝ごはんを自分のベッドですますと、あとは本を読んだり、待合スペースで少しお仕事の電話をかけ、1日に一、二回に担当の先生が様子を見に来てくださり、午後からはダンナさまや家族がお見舞いに来てくれる・・・そんな風にして一日を過ごしていました。



そして、徐々に同室の患者さんとの交流も始まります。

私の部屋は3人部屋で左隣は皮膚科のベッドがいっぱいで一時的に婦人科に入院している方、右隣は婦人科系の癌で入院されている70代の方でした。

その方は独身で、若いころは、その当時の女性としてはめずらしく会計関連のお仕事で大活躍をされていたとのことでした。ざっくばらんで、サバサバした方という印 象で、ご自身の癌についてもとても冷静に客観的にお話をされていました。

日にちが経つにつれ、その方は私が昼寝をしていようが本を読んでいようが、突然、 ご自身の治療や昔のお仕事のことなど身の上について話しかけてこられるようになりました。

相変わらず口調は淡々とされていましたが、きっと寂しくて、すごく不安だったのではないかと思います。そして、話すことで、これまでの生き方は間違っていなかったと、ご自身の幸せを再確認したかったのではないかと、私なりに想像させてもらい、お話をしていました。

病気と闘っているその方に対して、私には話を聞くくらいしかできなかったけれど、その方の生き方に大きな敬意をはらいたいと思いました。



お昼間、患者さん同士でおしゃべりしたり、お見舞いの人が訪れたりしてくれても、消灯後は一人です。

電気を消した暗い病室のベッドの中で、いろいろなことを考えます。ほかの人たちもベッドの中で、それぞれ不安や悲しみに一人で耐えているのが伝わってきます。

私も、早く退院して次の赤ちゃんを、という前向きな気持ちよりも、いなくなってしまったちびちゃんのことが思い浮かんでしまうのがこの時間でした。


私は、あまりにも命を授かることの重さを知らなすぎました。

考えるのは、ちびちゃんに対する申し訳なさと、自分の体を何も理解していなかったことへの恥ずかしさと、もっと勉強して今度赤ちゃんを授かったときは、絶対にその命を守りたいということでした。




日にちが経つにつれ、シャワーが許可され、病棟以外の建物内を歩くことを許され、傷口の痛みも少しずつ癒えていきました。

心配されていた手術後の状態についても、hcgの値が下がったことでちびちゃんが私の中にいないことが確かになりました。

そして、内診の結果、退院が許可されたのは、入院から7日目のことでした。


あまりにも突然退院を許可され、うれしいやら慌てるやらでした。

ダンナさまに連絡を取ると、仕事が終わったらすぐに迎えに来てくれました。

先生や看護婦さんに挨拶をして、同室の方と握手をしました。同室の方のことは気がかりでしたが、私はとにかくおうちに帰れることで晴れ晴れとした気持ちでいっぱいでした。




退院からしばらくは、お仕事を控え、ダンナさまの言葉に甘えてお家でのんびり過ごしました。


今回の腹腔鏡手術で、私のお腹には3つの傷跡が残りました。

私が妊娠できることを伝えに来てくれたちびちゃん、私に命の大切さを教えてくれたちびちゃん。絶対に忘れたくないから、この傷跡がいつまでもいつまでも消えないでいてくれることを願いました。

そして、卵管を切除したのは辛いことだけれど、ちびちゃんが私の一部といっしょにお空に行けたのだと思うと、少し救われる気持ちがしました。


ちびちゃんのためにも、しばらく体を休めたら前を向いて進んでいこうと思いました。