大袈裟かもしれないけれど、


オーバーかもしれないけれど、


死ぬときに、


あぁ、、この人生、楽しかったな、、、、


と、


言えるだろうか。




そんな問いかけをしたことが、ありますか?


実感として、


死ぬまでに、あと何年?


という発想が生まれるのは、


だいぶ年齢が重なってからの話ですよね。


私たちは、いい具合に鈍感にできてるんだな。


夏休みが終わる頃に焦ったり、


締め切り間際の原稿に集中したり、


結婚式前のエステに通ったり、


実感として、迫ってこないと、


なぜか、「行動」というスイッチが入らない。




リストラされて、収入がなくなった


治る見込みのない病気になった







そんな状況にでもならなければ、


本気というスイッチは入らないのだろうか。








それでも 間に合う?


死ぬときになって


あのとき、もっと、、、と


思わない?







いくらでも時間があると思うから、


決断を先延ばしにできます。


お金だって、いくらでもあると思えば、


ほんとにお金をかけたいところは、


いつでもできるや!  なんて


後回しにしかねません。



終わりがいつくるのか


わからないのに






わたしも含めて、


どうして人間って


ほんとに、そうなるまで


やらないのだろう。


人生が有限であることは、


幼稚園児だって知ってることなのに。


いつ終わりが来るのかなんて、


予測つかないのに。




そのときになって


涙を流すの?


あぁ、あのときもっと、、、がんばってれば


本気になってれば





こんなことには


ならなかったのに。





わたしは今、自分のために書いています。


そして、みんなにとっても、


この、有限である時間を、


大切にしようとすることが、


まずは最初の一歩なんだと思います。


なにかを学ぶとか、体験するとか、


それもいいんだけれど、


なんのためにやるのかな。


誰かからの評価や、世間からの見た目。


みんながやるから、やってるから?


そんなことが理由で、


大切な時間をかけますか?





そこに、どんな覚悟で臨むのか?





だってね、


「いつかまた」


「こんどね」


それがほんとにあるかどうかなんて、


わからないんだから。



焦る必要はないけれど、


先延ばしにする理由は、


言い訳になってないかな。



本気を先延ばしにするのに、


正当な理由は、、なんだろう。


「いつかまた」では


どうかな、と


思う。



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言い訳しないで、

踏み出せばいいじゃない!


まずは、一歩。


結果は二の次だ。


ゼロから、一歩


踏み出すかどうか。


そこに、覚悟が表れる。