今宵は新月なんだそうです。


月の影響は直接体に感じますし、そして心にも感じます。


けれど、願い事をすれば…叶いますよーというのは、


私は違うと思っています。


願い事をすることが大切なのではなく、


願い事をした後の行動が変わるから、何かしらの変化が起こる、、


そう捉えています。


だからこそ願い事をするのが大事なことでもあり、


それだけでよし、というわけでもない、ということになるのでしょうか。


月がどうあれ、


まわりがどうあれ、


自分がどう生きているのか?


どんな生き方をしていると、本人が感じているのか?


そこが、実はとても大事なのではないか…と、


思います。



すべては、自分自身がどう感じているのか?



そこに、、不幸感も幸福感もある気がします。


他人から見てどれだけ幸せに見えていても、


「私は辛いの、不幸なの」


そういう人はいます。


逆に、それって大変でしょう、、、と


誰が見てもそう思える状況の人でも


「幸せだと思ってる、これで良かったと思う」


そういう人も、やはりいます。


その人が  自分の人生をどう思っているのか、


それが幸福感であり、また不幸な人生、なんでしょう。


そう、、、


どう捉えているのか


そこでしか、私たちは幸福も不幸も


表現できないのです。


実現してないのです。


それは、幸運、不運、についても、同じこと。


万人に共通する物差し、があるのではなくて、


やっぱり本人の捉え方次第  なわけです。


今を、どう捉えているのか。


現実を、どう判断しているのか。


ならば、


それが大事なのなら、どう生きようと、関係ないのでしょうか?


どう生きているのか、より


どう捉えているのか。


だとしたら?




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自分の捉え方、が安定している人はいいのです。


黙々と、着々と


幸せに思える生き方をしていけばいい。


ブレないのなら、それでいい。


他人からどう見えるかより、自分がどう思うかだという軸から


微動だにしなければ、それでいいのです。


ゆったりと、自分を信じて、


これでいいんだ、自分は。


そう思っていられればよいのです。


けれど、なかなか。


そんなに単純には、簡単には、いかないものですね。


なぜなら


比較をしてしまうから。


そして、


何かしらの物差しで、自分を測ってしまうから。



だから   「ダメなんだ」 と、なる。


これでいい、これがいい、自分はこのまんまでオッケー、


そう、思えないのです。


それが気力を消耗し、


自己否定を繰り返し、疲れた体に鞭をうってしまい、


タイミング悪く体力まで消耗してしまうと、


ひどい場合は うつ状態、になってしまいます。


動けなくなるのですね。


本人は動きたい、動かなければと、思っているのに。


そこまでになったら、もつ、ジタバタしても仕方ない。


だって、、、動けないんですよ、、ほんとうに。


とことん、休むしか、ないのです。


自律神経が、本来のリズムを取り戻すまで。


芯から疲れている体が、普通に生活できるエネルギーを取り戻すまで。



せめて、日常のことが辛うじてできる、ぐらいのときに、


まずは体を休められたらいいと、、ほんとに思います。


たくさんの人が、自分に厳しくありすぎて、


挙句、何もできなくなるまで、自分を痛めつけてしまうのを、たくさん見てきました。


何もできなくなって、


その人はどうなるのか???


人間、すごいと思います。


そこから変わる人も、私はたくさん見てきました。


あぁこの人は、もうダメなんだろうか?と、思っていたのが、


驚くほどの、輝きとともに、生き返る人。


蘇る、、、と、言いますが、まさにそんな感じ。


そんな人も、たくさんいらっしゃいます。



これが、、、落ち着く   ということなのか。


そう思います。



落ち着く、とは


落ちて  着く。


落ちるところまで落ちて、


そして、底を蹴る…。


そうまでしないと、浮かび上がれないのだ。


いや、底まで落ちたからこそ、


浮かび上がり。


底の景色を知っているからこそ、


その先どう生きていけばいいのか


落ちないためにどうしていけばいいのかが、


わかるのだ。


私は、落ち着く、というのは、その人が自分を取り戻すことだと、


思っています。


自分自信を、「思い出す」、と言ってもいいかもしれません。


もがいてる時、無理をしている時、


そんな時は、、見失っているのですね、、、。


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自分自身を取り戻したところから、


そこからまた、何度でも、はじめればいい。


比較もしない、測りもしない。


そんなことは、ほんとは、


幸せに生きる、ということにおいては、


何の意味も成さないのだから。


落ちるのなら、落ち切って底を蹴るまで、


落ちていく自分を、楽しんでみればいいとさえ、思います。


私がほんとうに、自信を持って言えるとすれば、


やり直すのに、条件は必要なく、


幸せに生きていくのに、お約束事は何にもなく、


ただ、「そうしたい」と願う、その思いだけで


まずはいいのだと思います。


行動は、その次です。


行動があればこそ、ですが、


行動するのに、準備はいらないんです。


できるときがくる、したくなるときがくる、


そうでないなら、


まだ何か、


学ぶことが、残っているのですよ。


あなたが、ほんとに望んでいることは


なんなのか?


気がつく必要が、あるんだと思います。


新月に願い事をする人は多いです。


楽しんでやっている人は、


きっと動きたくて、うずうずしているぐらいの人でしょうから、


だから、叶うのですね、たぶん(^-^)



変化しないことなんて、ないのだから、


自分を痛めつけないで、



ほんとに大事にするとはどういうことなのか?



そこを考えていけば、いいのだと思います。