まだ火曜日だというのに、

仕事で私はすっかり疲れ切ってしまい、

帰りの電車の中でほぼ放心状態でした。



こんなふうで、やっていけるんだろうか…



そんな不安が起こりそうになったので、


やめよう、、そんなことを想像するのは、


と、思考をストップ。




こんな日が週に何回かあります。


それでも帰宅すれば、お腹を空かせた家族が、


待っていてくれて、


私の活躍はここからまた、始まるのですね。



今日は、朝に作った肉団子と、


作り置きの小松菜の炒め物、


そして、かぼちゃをうすくスライスして火を入れ、


あとは、卵のスープを作り、


彩りよく、なんとか夕ごはん。



ほっと  します。


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電車の中では、家のことをするのをとても億劫に感じて、嫌だなぁ、と思ってました。


やりたくないなぁ〜 と。


でも、こうして、ただ無心に自分を動かしていくと、


自然と心もほどよく動いて、


いつもの落ち着く場所に、しっくり収まるような気がします。



手を動かすって、  だいじ。


それも、誰かのためだと、すごくいい。


心が癒されますね。



動いたのは自分なのに、


癒されて、心が正しい位置に戻っているのは、


不思議なものです。




仕事は、楽ではありません、正直。



責任の重さ、タスクの多さ、一切を任されている現場。


こんな日ばかりでなく、もう少し楽にやれるときもあるのですが、


山あり  谷あり  いろんなことが起きますから、


心もがんばったり、よろこんだり、


うつむいたり、またはしゃいだり。


その変化を楽しんでいます。


そして、


疲れたときほど、手を動かそうと、思います。


やる気になるとかならないとか、一切考えないで、


ただ、目の前のことをやる。


丁寧にやる。


洗面台の鏡を磨いたり、


少しだけ雑巾掛けしたり、


ごはんをゆっくりといただいたり、、、。


そんな日常の営みの中に


心をととのえる力はあるのだな、と思います。


思考すること、も必要。


だけど考えてるだけでは世界は変わらない、


自分もなんだかすっきりしない。


手を動かして、なにかをする。


すると、そこに変化が起こる。


鏡がきれいになったり、


床がピカピカになったり、


それだけでも、変化を起こしたことに変わりはなく、


それを行った自分の中に、


目には見えないけれども、ささやかな自信が、


積み重なる気がします。


やる気になれないとか、理由付けがいるとか、

そうしたことを考えずに、

ただ、手を動かしてみる。



私は、

自分がまったく動けなくなった時期があったので、

こうして動けることがほんとうにしあわせなことだと、

思っているのです。

動けなかったとき、、、辛かった、、、

できなかった、、、、。

でも、そんな自分を責めることをしないで、

次また、動けるようになるまで、ただ、ただ、

自分を信じていました。



動けることは、しあわせなことです。


心が、素直に、よろこんでいます。


生きている、と思えます。



今夜も気持ちよく、眠れそう。


おやすみなさい