少しずつの自分の変化を感じているとき



おそらく多くの人が

以前はがんじがらめになっていたことに対して

気がつくと、そうでもなくなっていることが、あるんじゃないかな。





もっと 進むと


そうでもなくなった  囚われの感情は


どうでもよくなる。






これが  感情の解放なんだな…






どんな道でも

歩いてみなくちゃわからないね。





どれだけ詳しい地図があっても

とにかくていねいなガイドブックがあっても




この自分の足で歩き

この目で見て

耳で聞いて   鼻で嗅いで

この 心が  とらえたこと




それらには かなわない




それだけが

その人の真実になる。




どうして囚われていたのか

その理由は知りたいところだけれど

それを知るだけで

感情を解放することは




できない。




知ることに意味がないんじゃなくて

そこはあくまで

通過点なんだよね。




囚われていたものに

どんな意味をもたせるのか

そうすると  その感情をそのまんまで受け入れやすくなる。


それでいいんだって。

そう感じていいんだって。

そうやって

その意味に納得がいってはじめて





囚われていたことが

そうでもなくなる。





囚われていたところからの

解放がはじまるんだね。






なにかに囚われてしまっているときって

とにかく 客観的には見れなくなってる。

苦しみを抱え込んで、一日中そのことを考えて…



「苦しい」

「くやしい」



というところから

逃れられなくなっちゃってるからね。

ずっとずっと  おんなじ感情
おんなじ波動のまんま。

苦しい  の原因や、くやしい  の対象のことを握りしめるかのように、

考え続けてしまう。


ほんとはその奥に、悲しみ  が  かくれていたりするんだけど、なかなか気がつけない。







あ、私  囚われてるな…





そこが見えたら

持ち前の思考力で

無理無理ではないように

どんな意味があるのか、考えてみる。




意味がない    って結論も  ありだし。




要は

自分が納得することが

いちばん。




いいとか悪いとか

罰とか試練なんて

そんな意味ではなくて。

なにか その先の人生のヒントになるようなこと、を見つける。

あるいは

そう思っても仕方ないよねって

腹の底から許しちゃう。






そのためには 少し離れたところから見るのがいいよね。





そしてやがて

自分を苦しめていたものが

等身大に見えてくるときがくる。







あれ?

たいしたこと  なかったのかも…








これが  どうでもよくなる瞬間かもしれない


そう

モンスターに仕立て上げていたのは

何を隠そう

自分だったってことも

たまにはあるよね。





「悲惨な過去が
今の自分をつくった」




そう思い込んでる人は

その過去を

モンスターにし過ぎていることがある。




カンタンには言えないことだけれど…




仮にそうだとしてもね




未来の自分は今の自分がつくるんだから

自信をもってつくればいい。

しあわせに生きる気持ちがほんとなら

囚われている時間は

もったいないよ。






囚われている感情には

さよならしよう


そこからまた





自分との出会いがある


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そのひとが  
そのひとらしく
かがやいている姿は
息をのむほど 美しい
かがやく力は今
あなたの中にある…




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本日も長文、お読みくださりありがとうございました‼︎