ブログをお休みして一年ほどになりましたが、その間に豊昇龍が、そして大の里が横綱に昇進し、時代は大きく変わりました。

 

二人の横綱の誕生は予測の範囲内でしたが、昨年の一番の衝撃は、安青錦の大関昇進でしょう。新しい時代の、土俵の景色を見せてくれる力士の登場でした。

 

以前のブログで、一度だけ、短い文章で安青錦に触れていました。

 

それは幕下時代の安青錦の相撲を見た印象で、「なんじゃ、この相撲は。訳分らん」と書いたと記憶しています。

 

安青錦は例によって廻しを引いてアゴを引き、相手力士は、これも例によって押したり引いたりしていました。大きい力士に多い、押して引いての繰り返し。

 

安青錦は相手力士の動きに対して、一気に攻め込むこともなく、ただただ自分のペースで寄り進むだけ。だから見ていると、相手力士だけがジタバタしているように見えました。

 

まぁ、あまり見たことのない展開の相撲に、当時は「なんじゃ・・・」という感想しか出てきませんでした。

 

やっぱり、こういう相撲が取れるというのは、安青錦の体の強さは半端ないということだと思いますね。特に、すり足は素晴らしい。

 

安青錦の体のサイズが大きくないのもあって、安青錦は技巧派のイメージがありますが、体の強靭なところが安青錦の一番の特徴でしょう。

 

もちろん相撲も巧いですが、動きは非常に理に適った王道の動きであって、業師という感じではないですね。

 

だからもう少し体が大きくなったら、自然と相撲が変わってくるような予感があります。普通に、相手と胸を合わせての四つ相撲が増えてくるような予感です。

 

すぐにということではありませんが、大きな相撲を取れる力士になると思います。まぁそれより、相撲の型が変わるよりも横綱に昇進する方が早いかもですね。

 

今年中ぐらいかな、横綱が二人立ちはだかりますから。立ちはだかっても、今年中ではないでしょうか。

 

 

しばらくお休みしていましたが、アメブロでブログを始めることにしました。

 

これからは、大相撲以外のことも書いていこうかなと思っています。

 

第一回は何を書こうかなと考えて、玉の海にしました。

元々、昭和の大相撲について書くというテーマでメルマガやブログを始めたので、というのもあるのですが、もう一つ理由があります。

 

昭和の力士に限らず、昔のことを語り継ぐということは、その伝言ゲームが失敗に終わると、間違ったことが語り継がれることになるわけです。

 

玉の海について言えば、その体のサイズで、少し誤解されて語り継がれる可能性を感じます。177cm、134㎏。やはり、横綱としては小さいし、昭和40年代という時代を考慮しても小さい。

 

だから玉の海は、「相撲が巧かった」「立合いが鋭かった」との言説を目にしたことがあります。小柄だから「相撲巧者」「技巧派」のイメージなのでしょうか。

 

玉の海は全く逆で、極めて強引な相撲を取る力士でした。

 

玉の海と言えば、まず浮かぶのは「吊り出し」です。面白いのは、体が出来て、大きくなってから吊り出しを得意にしていたのではなく、入幕間もない90㎏台の頃から吊り出しをしてました。

 

それも下手廻しを引いたら、上手廻しを引けなくても、片方の廻しだけで吊ってました。まぁ、玉の海の吊りは「腰で吊る」と呼ばれていましたから、廻しはそれほど関係なかったのかもしれません。

 

有名な、大鵬との初対決の一番。この時の決まり手は内掛けでしたが、印象に残っているのは、玉の海は頭を付けることもなく、堂々と胸を合わせて相撲を取っていたところでした。

 

後年、横綱同士として大鵬と対戦した時も、胸を合わせた、がっぷり四つの大相撲を展開した玉の海。大鵬の身長が187cmでしたから、身長差は10㎝ありました。

 

胸の合わせ方が何とも言えない素晴らしさで、その後の力士に見ることのできないものでした。肩幅の広さと、足腰の強靭さと、全体のバランスと、後は稽古ですかね。とにかく素晴らしい、がっぷり四つでした。

 

胸を合わせに行くから、当然ながら前ミツを狙うこともありません。深い廻しというか、今ではあまり言いませんが「脇ミツ」を好みました。脇ミツを充分に引いた玉の海の四つは、本当に美しい四つ身でした。

 

そこから、大概の場合は吊りに行くのですが、その吊りがまた美しいものでした。

 

先に書いた「立合いが鋭かった」、にも触れておきましょう。

 

これは玉の海の立合いについて、双葉山を模した「後の先の立合い」が完成しつつあった、というものから来ていると思われます。

 

ただ玉の海が双葉山の立合いを参考にしたのは、横綱昇進後も玉の海は立合いが下手だったからです。組み止めたいという意識が強いからなのか、大雑把な立合いでした。

 

相撲の型が完成しつつあった玉の海は、その立合いも完成に近づいていました。しかし、例えば千代の富士のような立合いとは、全く違うもので、「立合いが鋭かった」は違います。

 

とは言え、玉の海のことを後世に語り継ぐには、私のブログでは足りないのですが、小さなことからコツコツと、ですね。