さて、もう少し知多半島の戦国について続けてもいいのですが一度話を織田信秀に戻します。知多半島で勢力を拡大した水野氏は必然的に織田信秀と接触するようになるわけです。

幕府の御料地であった海東郡を応仁の乱などの混乱の中奪った織田信長の祖父。勝幡城を拠点にして津島神社を抑えて繁栄の基礎を得ました。

その後、織田信長の父・信秀は愛知郡に進出するわけです。那古野城、古渡城と拠点を移します。

成政ファン 佐々成政及び佐々氏に関するブログ。

今回はさらっと流しますけど、那古野城は今川から奪ったらしい。つまり、尾張守護の斯波氏の支配地域ではなかったというわけです。だから下克上せずに奪えたというのもあります。愛知郡は今川氏だけでなく、松平の勢力も一部入っていたようです。以前に紹介した一色氏の一族とも言われている岩崎城の丹羽氏。現在、愛知県の日進市の辺。その岩崎城の周辺にあったとされる城の多くは丹羽氏の城だったところが多いのですが、一部には松平氏の居城だったとされている城趾もあります。尾張国愛知郡にです。そういうところを織田信秀は攻めて行って下克上をせずに勢力を拡大していったわけです。

そして愛知郡を押さえ三河と接するようになった信秀は三河にも勢力を伸ばし、安城城をも抑えます。美濃の大垣城をも抑えたこともあります。でも肝心の尾張を完全に支配していないのに、三河や美濃にまで勢力を伸ばしたわけですが、後で詳しく分析しますが、今でいうと完全なる赤字経営ってところだったと思います。領土って広ければいいってものではありませんからね。事業だって広げるだけが能ではないわけです。

例えば、我らが祖国・日本ですが戦前は現在よりも遥かに広い地域が大日本帝国の領土でした。現在、ロシアに実行支配されている千島列島や南樺太、更には朝鮮半島、台湾、そして南洋群島。更には満州国も日本の勢力範囲でした。更にはこれはあまりしっている人は多くはないと思いますけど、日本の南方領土とも言える群島も日本領であった頃もあります。今、中国とかベトナムとかが領有権を主張している南沙諸島とかの群島ですね。でも戦前の日本は領土は広かったけど、軍事大国だったけど、大変貧しい国でした。戦後、領土は減ってしまったけど、逆に領土経営の赤字がなくなり、戦後の繁栄につながりました。今の日本の状況に関しては私からはなんともいいがたいのですが・・・。

企業においてもバブルの頃、ペンタゴン経営だとかいって多角経営を展開して大変業績を悪化してしまった大企業もあります。逆に、地味に得意分野に絞った経営をしていたところのほうが生き残る場合もあります。

織田信秀の父・信秀の三河・美濃の支配は今でいうと完全な赤字経営といったところでした。ただでさえ、二面作戦は大変なのに、自分の足下に敵がわんさかいる状態。他国に攻めて行っているうちに、居城を攻められたりして大変な苦労をしながら、信秀は勢力を伸ばして行ったわけです。

三河の安城城をも支配し、松平氏の拠点である岡崎城にも攻めようかという織田信秀。

当然、水野氏とも接触します。

水野氏にとって松平氏は背後に今川氏もあり強敵です。かといって、新興勢力でいけいけどんどんの織田信秀も強敵。水野氏も苦悩します。

では、次回はまた知多半島に話を戻します。今日はこの辺りで。おやすみなさい。




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