$成政ファン 佐々成政及び佐々氏に関するブログ。

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前回紹介した一色氏発祥の地を少し、北西に行くと、赤羽(あかばね)という地名になります。そこに一色高校があるのですが、その隣にある親宣寺には赤羽根古城趾の石碑がたっています。一色高校や親宣寺の辺が城趾です。場所はこちら

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一色公深を祖として名門一色氏を生み出した一色荘ですが、その一色氏は一色荘を離れ、隣の吉良荘の吉良氏が一色荘を支配するようになったのでした。吉良氏5代満貞の弟有義がこの赤羽根古城の城主だったのですが、一色殿と呼ばれるようになり、一色氏を名乗ったそうです。南北朝の時代です。


1356年に父吉良満義が没すると、その菩提を弔うため、安休寺を創建したらしい。その安休寺とは前回紹介した一色氏発祥の地の石碑があるところ。

そこには吉良満義・一色有義のお墓があります。

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この一色有義の子孫に関してはよくわかりません。この吉良氏の分家が名乗った一色氏が後の渥美半島を支配した一色氏であるとも言われていますが、よくわかりません。
1414年には高橋高宗が城主となりました。吉良氏の配下でした。代々高橋家が城主だったようです。1561年今川氏の勢力下で、東条城主・吉良義昭に属していたため、松平元康の家臣・西条城主・酒井氏に攻められ敗北を喫しました。その後、三河一向一揆に義昭が加担したため、一族は滅亡してしまいました。そのとき、赤羽根城も廃城となったようです。