世の中、共感されたいが溢れてる。


だから

誰かと一緒が良くて

誰かと同じを求めて

誰かに合わせて


それが集まって

マジョリティになるのかな?



インスタグラムとかで

異国のアイドルや自国のタレントが

持ったものや食べたもの

着たものや付けたものが

映えて流行るのも

これだろうね。


実際、そんなに可愛いか?とか

え?これ並ぶほど旨いか?とか

その服、それでいいのか?とか

そんなんばかりだが


それが可愛い〜〜となれば

可愛い世界が作られる。



このマジョリティの中にいなきゃならない人の特徴は

人のことを羨ましがる傾向がある



息子に友だちができない…

同じ学年の男の子が友だちと歩いてる姿をみるのが辛い

娘が学校に行けない…

朝の登校時間に外の声が聞こえてくると悲しくなる

ママ友が出来ない…

県外から来たから仲間に入りづらくて馴染めない

母の日に息子から何も貰えなかった…

Xの投稿見るだけで淋しくなる

誕生日におめでとう言われたのは1人だけ…

せっかくの誕生日なのに…(泣)

などなど…




世の中の幸せの基準と

自分の幸せに基準が

ごちゃごちゃになってる。



これじゃ、

小さな幸せを感じられなくなる…




自分が何をしたら

はあ〜❤と高揚感を感じたり

幸福に思えるかを


自分だけの幸せを確立したら



たとえ、

息子に友だちが居なくても…


家族との時間が増えるから

家族と出かけられるね!

ってなるし


娘が学校に行けないなら…


娘がどこか行きたい場所に

旅行に行けばいい

平日に旅行に行ける特権に気づけばいい


ママ友ができないことなんて…


ママ友のしがらみがないから

楽ちんだと思えばいいし


母の日になんにも貰えなくても…

みんなが元気で健康なら

それで別にいいって

考えに…なるけどね


誕生日も

誰からもおめでとう言われないって思うより

誰か1人からでも言われたら、逆に嬉しさ何倍にもなる

けどな〜


ならないのかな?



私は

そういう考え方だから


というより


どこかでずに冷酷で冷静

ある意味、冷めきってる部分があるから



私、間違ってる?とか

私、変かな?とか

私、おかしい?とか

共感を求めて共有するより


私は変だし、おかしいし、

間違ってるって思う人がいるかもしれないけど

それも、その一部の意見な!

って

感覚だから


同調してくれなくてもいい。



主人と話しても

意見がぶつかるけど

それをSNSなどで共感してほしい気持ちは

別にない。

記録みたいな気持ちなだけ。



仕事のことで昔、

私と実母と弟子さんと話して

私に話をする時に、母か弟子さんに

「そうだよね〜」とか同意を求める話し方をしていて

ジャイアン方式を使っていた。

「そうだよな、おまえもそう思うだろ?、な?」

大概の人はスネ夫だから

「うん、そうだね」になる。


これは、ママ友などの集まりにも

使われる方式。

ボスママがいて、周りのとりまきスネ夫ママがたてる。



人にいいね!を合わせたり

SNSサイトでいいな〜と羨んでばかりいる

この世の中に

この先、自分自身で幸せを見いだせる人間が

増えるとも思えない。




世の中は、世の中

どこか

違う場所から見ている感覚なんだよな。