なかなか余裕のない日々が続いてますが、先日(11月18日)の中央日報コラムをある人に訳してほしいと頼まれ、せっかく訳したのでブログにもアップしときます。毎度すればいいんですが、すみません。
http://news.joins.com/article/22126676
見知らぬ人とも食を分かち合う韓国で4泊5日
日本の学生たち 慰安婦被害ハルモニと会い、涙
「キムジャン」の季節がやってきた。韓国のどんなところが好きなのかという質問をよく受けるが、その答えの一つは「食を分かち合う文化」だ。近所の人はもちろん、親戚らたくさんの人が集まってキムチを漬け、分け合うキムジャンはその代表格だ。
一人で食べず、できるだけ誰かと一緒に食べようとするのも韓国のいい文化だ。高速バスに乗った時、横に座ったおばさんが、突然自分が食べようとしていたゆで卵とみかんを分けてくれたこともある。日本では見知らぬ人に食べ物をもらったことは一度もなかったので、韓国で当たり前のようにあげたりもらったりするのが不思議だった。韓国人の友達にこの話をすると、「一人で食べる方が変」と言う。
家族と離れて暮らす留学生のわたしが、寂しく一人でご飯を食べているのではと心配してくれる人もいる。家で作ったおかずを持ってきてくれたり、外食のたびに声をかけてくれたり。そんな時は、おなかだけでなく、心まで満たされたような気持ちになる。日本にいた時も、仕事の都合で家族と離れて暮らしていたが、わたしがちゃんと食べているかを心配してくれるのは母ぐらいだった。日本人の多くは家でも外でも一人で食べることに慣れている。
食を分かち合えば、自然と対話(※韓国語では対話を分かち合うと言う)が始まる。わたしが日本にいる時よりも韓国にいる時の方がよくしゃべる理由も、食を分かち合う文化のためかもしれない。最近、それを実感する出来事があった。
先日、ソウルで開かれた学生フォーラムでのことだ。韓国と日本の新聞社や放送局に就職を希望している、あるいはすでに内定の出ている大学生たちが集まり、4泊5日の間、寝食を共にしながら取材をするイベントだった。わたしは学生たちが取材し、記事を書くのをお手伝いする役割で参加した。
日本から来た学生の中には、留学中の中国人学生もいた。おかげで、図らずも日中韓3ヶ国の学生が集まり、最初よそよそしかった学生たちは4泊5日の間一緒に過ごしながら徐々に親しくなった。
最後の日程で、自身が撮った写真の中から1枚を選び、その写真について話す時間があった。何人かの学生が似たような写真を選んだ。夜遅くまで、ホテルの一室で学生が集まり、お酒とつまみを囲んで討論する様子の写真だった。
日本の学生たちは普段政治や歴史についての話をあまりしない傾向がある。初めて同世代の外国人学生と討論したこと自体が新鮮な経験だったはずだ。「韓国や中国の多くの学生が日本の政治状況や歴史についてよく知っているのに、自分は知らなすぎる」と恥じる日本の学生も多かった。
討論の内容を尋ねると、「日本政府はどう謝罪すればいいのか」だった。慰安婦のハルモニたちが暮らす「ナヌムの家」を訪問した際、学生たちの取材に応じたハルモニが「日本政府の心からの謝罪を望んでいる」と訴えたためだ。
ナヌムの家を訪問する前日の夜、日本の女子学生2人がわたしの部屋に来て、「どう質問すればハルモニを傷つけずに話をうかがうことができるか」と、一緒に悩んだ。実はハルモニは体の具合が悪く、会うだけで精一杯だと聞いていた。一生懸命準備した学生に「話を聞けなくてもあまりがっかりしないように」と言っていたが、意外にもハルモニが「質問するより前にわたしの話をまず聞きなさい」と、数十分間、自身の被害体験について語ってくださった。流れが途切れないようにと、録音して後で翻訳することにし、その場では韓国語で聞いたが、日本の学生たちは聞き取れないながらも泣いている学生が多かった。表情や語調だけでも感じるものがあったようだ。おそらく、ハルモニのために自分たちに何ができるだろうと、考えさせられただろう。
日本の学生の多くが「日本では慰安婦問題は政治問題として報道され、他人事のように感じていた」と言う。被害国である韓国や中国の学生たちと寝食を共にして討論しながら、決して他人事ではないと感じたはずだ。
見知らぬ人とでも食を分かち合い、対話する韓国の文化が、初対面の学生たちの口と耳、そして心を開いてくれたのだろう。
成川彩 日本人ジャーナリスト(東国大学大学院在学中)
出典:中央日報〈成川彩のソウル散策〉2017年11月18日付